ホビーアニメを観ていたらいつの間にかアホになっていた

現在放送中の子ども向け番組を中心に、アニメや特撮ドラマについて書いていく。毎話「感想」を書くわけではなく、気になった話数や一般的な議論に関する記事を書く予定だ。

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『ラブライブ!サンシャイン!!』アイドル≠アスリート

『ラブライブ!サンシャイン!!』第7-8話 スクールアイドルの変貌

『ラブライブ!サンシャイン!!』はここに来て急展開になった。6話までは、μ’sの影を追ってオリジナリティに欠けているのではないかと疑わせる場面が多かったが、クールの後半になり、雰囲気がガラッと変わった。東京のイベントに呼ばれたAqoursは観光を満喫していたが、μ’sが練習をしていた神社で他のスクールアイドル・セイントスノーに出会う。神社で綺麗な歌声と華麗な高跳びを披露した少女2人は、本番ステージでダンスとラップを含むハードな曲を披露した。ステージ後、Aqoursはセイントスノーに手厳しいことを言われた。本番ステージの結果は最下位で、千歌以外の一同は悔しがる。しかし、高海千歌は頑張ったとか、仕方ないとかいうことを言い続ける。翌朝、海に身を沈める千歌を目撃した桜内梨子だったが、千歌は1-2話でやっていた、海の中でイメージが掴めるかということをまた試していたのだった。何も見えなかったからこそスクールアイドルを続けたいという千歌。Aqoursはゼロから、決意を新たに再スタートするのだった。

 

この2話数では、Aqoursとセイントスノーが対立関係にあった。Aqoursはμ’sのような素敵なスクールアイドルを目指してスクールアイドル活動を楽しみ、セイントスノーは頂点を目指して「スクールアイドル活動」に励んでいた。今回の話を見ると、セイントスノーはアスリート気質のように思えた最高の結果を得るという気高き目標を持つ彼女たちは、スポーツ選手と呼ぶにふさわしい。Aqoursとセイントスノーは根本的に違うのだ。

 

  • セイントスノーはアスリート気質で、ステージを勝負の場だと思っている。
  • Aqoursは実力を評価されて呼ばれたわけではないので、本来行くべきではなかった。
  • Aqoursはこれからのために自分を磨くべきだ。

 

 

 

 

 

アイドルとアスリートの違い

アイドルとは

アニメアイドルは、ショービジネスによって自分を高めるアクティビティである。もちろん、俳優の仕事などでシリアスな役や笑わない人の役をやる場合もあるだろうが、基本的には笑顔で楽しくやっていくことが大事だ。いくら勝利を目指していても、そのために自分を傷つけたり、辛い思いをしたりして、自分を犠牲にすることは良くない。ところが、今回、セイントスノーはAqoursにスクールアイドルを舐めるなという趣旨の言葉を残す。

 

もちろん、アイドルアニメには困難や厳しい結果がつきものだと思う。『プリティーリズム・レインボーライブ』で、主人公・彩瀬なるが敵の策略によってレベル違いの大会に出場させられた際、緊張とプレッシャーで歌うことができなくなってしまった。その経験があったからこそ練習の量も少し増えたし、ショーでオーディエンスを支配できるようになった。だからと言って、笑顔を絶やして、自分を犠牲にして特訓することはなかった。どんな時でも「ガンバなるなる(頑張るの意)」と笑顔で言っていたのが印象的だ。

 

Aqoursは他のスクールアイドルの練習スケジュールを参考にして練習をやっていたはずで、量的には問題ないと思う。質的にもピアノが弾ける梨子やフォームの確認ができる渡辺曜、μ’sに詳しい黒澤ルビィなど、申し分ない環境にあったはずだ。それでもダメだったということは、他のチームには優れた練習設備やコーチの存在があったのかもしれない。

 

アスリートとは

アスリートは、厳しい特訓や制限された食事、よく練られた戦略によって結果を伸ばす。練習の後には息抜きがあるかもしれないが、練習の間は笑顔を絶やして励むこともある。最近は、アスリートのメンタルが専門のカウンセラーもいるらしいが、多くのアスリートは自分を超えること、ライバルを超えることについてプレッシャーを感じている。

 

一方、魅せる競技においては、笑顔や技の美しさ、観客を魅了することが求められる。技の難易度ももちろん重要だが、表現力が必要な場合もある。魅力あるアスリートにはファンがつき、アイドルのように応援される。どのアスリートも失敗や敗北には、原因に特化した特訓などで対応するが、そうした改善が必ずしも人格に影響するとは限らない*1

 

セイントスノー=アスリート

セイントスノーはアイドルではなくアスリートだ。彼女らはわざわざ東京に来てまで、前日から練習をしていた。本来であれば、現地では本番に近い状況でリハーサルをするはずだ。セイントスノーの場合、アカペラで歌練習をしていた。それはまるで、歌という動作に特化したアスリートのトレーニングだった。Aqoursが緊張している時以外は終始楽しそうだったのに対し、セイントスノーは自信に満ちた笑みか厳しい顔しかしていない印象だ。ショーの要素を含む競技では、笑顔か、表現の内容に適した表情が求められるが、彼女たちの表情は戦いに行く方のアスリートだった。

それから、アニメアイドルを語る上で重要なキーワードのひとつに「見逃せない(目を離せない)」があるが、表現から滲み出る彼女たちの人格に目を離せない部分があったかといえば、答えはNOだと思う。あくまで彼女たちは完璧な歌と完璧なダンスをしていただけだ。他のアイドルとAqoursのステージが見られない以上何もわからないが、セイントスノーのステージを見て、惹きつけられたり、応援したい気持ちが湧いたりはしなかった。

 

Aqoursがダメだった理由

Aqoursがダメだった理由は大きく分けて2つあると思う。まず、第一に注目されたのがランタンだったことだ。もちろん、以前、ルビィが注目されているという描写はあったが、おそらくトップのスクールアイドルとは比べ物にならないだろう。そして、第7話で言及されていたのは、ランタンが綺麗だから動画の再生数が伸びたということだった。メンバーが可愛いからとかではなく、あくまでランタンが綺麗だったから。それはランタンの魅力であって、Aqoursの魅力ではない。強いて言えば、津島善子の動画編集能力の高さのおかげだが、動画編集能力は歌やダンスとは関係がない。Aqoursの魅力は評価されていないのだ。


第二に、認知度や経験が圧倒的に足りないことだ。今回大会に呼ばれたのは、前述のランタンのおかげでランキングが急上昇したことによる。つまり、本人達の実力ではない。それで上位のスクールアイドルが出演するイベントでステージをやろうとはレベル違いも甚だしい。前述の彩瀬なると同じ状態だ。なるの場合、才能があったのである程度の評価に繋がったが、Aqoursの場合はそうした才能もない。完全に実力違いの大会であって、出場すること自体が間違いだったというわけだ。もちろん、今回の敗北を糧に大きく成長することはできる。だが、辛い思いをするとわかっていて行かせた鞠莉たちはいただけない*2。いずれにしても、話題性だけでキャスティングされたのに、やすやすとオファーを承諾したAqours陣営にも非はあるというわけだ。


Aqoursは失敗から成長できるか?

見てきたように、Aqoursとセイントスノーはまったく違う存在だった。表現活動を通じて自分を高めるアイドル活動と、練習によってアスリートとしての自分を高めるスポーツ。2つは大きく異なる。セイントスノーはAqoursとは異なり、ステージを勝負の場所として認識していた。前日も、せっかく東京に来たのに歌の練習をしていて、ステージを楽しむという雰囲気ではなかった。一方、今回Aqoursが敗北したのには、実力ではない部分で評価されて大会に呼ばれたという理由がある。ランキング上位のスクールアイドルが参加する大会にAqoursが呼ばれたのは、ランタンが綺麗だったという理由で動画の再生数が伸び、ランクが急上昇したためだ。つまり、大会自体がレベル違いだったのだ。

今のAqours、それから3年生3人組は、今回の敗北から成長することが求められる。そのためには自分を磨かなければならない。スクールアイドルとして間違った方向に成長しないことを切に願う。

*1:フォームを変更して、人生観が変わったというような話はあまり聞かない。あくまでアスリートとして成長するだけだ。

*2:アイドルアニメにおける失敗は、わかっていたというよりも、事故で起こってしまうことが多い。

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