ホビーアニメを観ていたらいつの間にかアホになっていた

現在放送中の子ども向け番組を中心に、アニメや特撮ドラマについて書いていく。毎話「感想」を書くわけではなく、気になった話数や一般的な議論に関する記事を書く予定だ。

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『レゴニンジャゴー』はいかにもウエスタンだけれど東洋の精神を大切にするアニメ

『レゴニンジャゴー』の「ニンジャ」とは?

レゴの忍者遊びといえば、お宝に見立てた透明なブロックを盗むためにミニフィグを動かすことだと思う。しかし、レゴニンジャゴーのアニメにおけるニンジャは、お宝を盗んだり、悪代官を暗殺したりするスパイではない。それから、アメリカンジョークが多く、一部の武器や衣装が中国由来であるこの作品は、決してファンキーなだけではない。レゴニンジャゴーは戦いにおいて精神性を重要視する東洋の価値観を汲んで作った作品であり、正義の味方として精神を磨き上げた戦士・ニンジャが活躍する。レゴニンジャゴーは、日々の鍛錬によって心身を鍛え上げた戦士が悪を討つアニメなのだ。

 

 

アメリカンニンジャに対する誤解

「ニンジャ」に対しては、伝統を書き換え、面白おかしく改悪しているという誤解がある。ニンジャは、おそらく日本で実際に活躍していた忍者とは異なる。日本の忍者戦隊カクレンジャーなどのヒーローも、目立ってはいけないのに派手に敵を倒したり、巨大メカを使ったりしている。漫画『NARUTO』も世界中でヒットしており、術を使って派手に敵を倒すファンキーな戦士というイメージは世界的なコンセンサスになっている気すらする。でも、大切なのはニンジャの戦い方ではない。

 

レゴニンジャゴーには、東洋の精神性が立派に受け継がれている。レゴニンジャゴーの世界観では、術を学んで筋力をつければ強い忍者になれるわけではない。強い術を使うには強い精神が必要であり、ニンジャはどんな逆境に立たされても強くいなければならない。このように戦いにおいて精神を重視する姿勢は、現代の日本の武道や相撲にも受け継がれている。少なくとも、レゴニンジャゴーがニンジャをデフォルメして面白おかしく描いている作品ではないことは明確だ。

 

レゴニンジャゴーのメソッド

レゴニンジャゴーにおいては、ミッションをクリアして伝説のアイテムを解放するというクエスト制が採られている。伝説の敵の復活に際して、伝説のアイテムが必要になる。その伝説のアイテムが奪われたり、敵に先取りされたりして、敵が有利になる。しかし、数々の困難を乗り越え、ニンジャは強い精神を手に入れる。その強い精神によって、武器の真の力や新たな術が解放される。それを使って困難を乗り越える、というのがこのアニメの大まかな流れだ。特にシーズン6では、戦わずして勝つというショッキングな結末になった。だが、これでこそ精神性を重視するアニメと言える。ポイントは、魂を洗練させることで悪に打ち勝つということだ。決して強い武器や術が先に来るわけではない。

 

悪者でも忍術を使う

この作品の凄いところは、悪者でも術を使うことだ。どんなに悪い人物でも、強い精神さえあれば、術を使うことができるのだ。主人公たちの兄弟子に当たるモローが悪に堕ちてもスピン術やエアー術が使えたのも、悪のガーマドン卿がウー先生と共闘したのも、強い精神があったからだ。そういう意味ではNARUTOでいうところの仙術に近いものがあるのかもしれない。ニンジャを強くするのは研ぎ澄まされた精神であり、その精神が正義に使われるのか、悪に使われるのかは関係ない。その人が進む道がどちらであれ、精神が強いニンジャが強いのだ。


レゴニンジャゴーは、強い精神を持った戦士・ニンジャが戦うアニメだった。CMや外国産アニメだという事実から、ファンキーでポップなニンジャのイメージが作られがちだが、実際は違う。先生たちや仲間たちの導きによって困難を乗り越え、精神を磨き上げ、強い武器や術を使えるようになる。戦いにおいて精神性を重視するのは、東洋の大切な価値のひとつだ。それは、礼を重んじる日本の武道にも通じることである。その人が正義の味方であれ、悪党であれ、精神が強いのであれば、強いニンジャであることに変わりはない。今秋シーズン7が放送されるようなので、この先の展開が楽しみだ。

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