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ホビーアニメを観ていたらいつの間にかアホになっていた

ホビーアニメ、海外産アニメ、女児向けアニメなどを観て、変になってしまいました。プリティーリズムシリーズや現在放送中のホビーアニメを中心に、このキャラがかわいいとか、そのアニメが社会に伝えたい価値は何なのかまで、様々な情報を発信していきます。

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『レゴネックスナイツ』『パズドラクロス』敵前逃亡する勝者、勇敢に立ち向かう敗者

雑記

能力だけが強さではない 尻尾を巻いて逃げるテクニシャン達

この1週間で強いはずだった人がモンスターを前に逃げ出す話があったので、今回は勇気を振り絞ってモンスターに立ち向かった彼らにスポットライトを当てたいと思う。

 

 

『レゴネックスナイツ』第14話「見逃すな!ゴイスーな剣サバキ」

 

 

ハルバート王の生誕祭で武芸を披露することになったネックスナイツ。しかし、技術力でネックスナイツを凌駕するナマイキーナイツを前に、歯が立たず敗北する。しかし、そこにモンスター達が現れ……

 

『パズドラクロス第11話』「木の国リブリア」

木の国の古老が倒れ、新たな古老が選ばれることとなった。龍喚士クラインとトーリエは古老の地位を賭けて対決することになる。クラインはティンベルの従者であり、優秀である。しかし、トーリエはチャロの恩人である一方、あまり強いとは言えない。チャロはトーリエを鼓舞するが……


両方に共通するのは、いつもと違う環境での戦いであったこと、手合わせにおいては技術が、実戦において勇気が試されたこと、そして、戦士の資質とは何かについて考えさせたことである。

 

いつもと違う環境

彼らは普段と異なる条件で対決した。両者とも普段と違い、人間相手の試合だった。特に、ネックスナイツは普段はしない曲芸で対決することになっていて、準備ができておらず、不利だった。こうした環境で実力を発揮することは難しい。

 

そもそも対決方法が適当かといえば、疑問が残る。どちらも本来の目的は国を守るにふさわしい人物を選抜するためである。パズドラクロスの場合、ドロップの流れを読み、モンスターに力を与えるという行為は実戦と同様であり、龍喚士同士で対決させることにある程度納得できる。一方で、野生のモンスターは、人間の使役するモンスターとは違う。行動が不規則であり、人間を襲う可能性がある。龍喚士の操るモンスターに対してと野生のモンスターに対してでは、同じ行動はできないはずだ。緊張で実力を発揮できなかったトーリエにも責任はあるが、対決方式に問題があったような気がする。ネックスナイツも同様に、ナマイキーナイツたちはモンスターのいる環境で実力を発揮できなかった。実戦で戦えるかが戦士にとって重要なのである。

 

技術と勇気

戦いにおいて必要なのは、技術ではなく勇気だ。たしかにナマイキーナイツのすごい剣さばきや人間を圧倒するクラインは見ていて面白いかもしれない。だが、戦いにおいては、立ち向かう強さと戦う勇気が必要である。もちろん、無理に技術を披露しようとするナイツは見ていて滑稽だった。でも、モンスターと戦えずに逃げ惑うナマイキーナイツはさらに滑稽だ。実戦用ではない武器で、芸の訓練しかしていないナマイキーナイツは、最初から戦えないことがわかっていた。にもかかわらず、自慢の書を手にしたタイトワッドは、傲慢にもナマイキーナイツにモンスターを討つよう言ったのだ。勇気のないナマイキーナイツがモンスターに立ち向かうことは困難だ。


それから、パズドラクロスのクラインも対決では勝っていた(トーリエは緊張で場外に攻撃を連発していた)が、実際に強力な野生のモンスターがやってくると、尻尾を巻いて逃げだした。勇気を出して国を守ったトーリエが古老になるのは必然であった。どんなに高い地位を手にしても、資質や実戦で戦える能力がなければ意味がないのだ。

 

ヒーローの資質

ヒーローに取って大切な資質は、守り抜くという強い意志だ。トーリエは強いモンスターを使って攻撃するのではなく、回復スキルを使って不利な態勢から立て直した。スキルでモンスターを強化し、改めてモンスターを攻撃した。ネックスナイツのメイシーも守られる立場である王女の衣を捨て、守る立場であるナイツの鎧をまとった。

メイシーは地位を捨ててでも強くなりたいのだが、クラインは古老の従者である自分の地位に陶酔しながら決闘に臨み、モンスターが現れると、守るべき立場を捨てて逃げた。メイシーは、勇敢にモンスターに立ち向かい、ネックスナイツであることをハルバード王から改めて認めてもらった。トーリエも自分が国を救うしかないことを悟り、ティンベルやみんなを守るために、勇気を振り絞った。そのおかげで、市民からも前古老からも古老として認められた。地位や称号だけがヒーローではない。能力や資質・勇気があってこそヒーローなのだ。