ホビーアニメを観ていたらいつの間にかアホになっていた

現在放送中の子ども向け番組を中心に、アニメや特撮ドラマについて書いていく。毎話「感想」を書くわけではなく、気になった話数や一般的な議論に関する記事を書く予定だ。

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プリズムエリートの内部抗争:作品を愛する古参VS楽しみたい新参

新参と古参のよくある対立について

プリティーシリーズ*1のファン・通称「プリズムエリート」内で新参が偉いか、古参が偉いかの論争が起きている。

 

追記 

※事実関係の説明(対立関係など)が不正確ではないかというご意見をいただきました。明日以降検討し、修正します。(2017/7/31)

※内容を検討して書き直した結果、部分的な置き換え以上の分量になってしまったので、新しい記事を作りました。この記事は、適当なタイミングで削除する予定です。(2017/8/1)

 

www.ajo-biani.com

 

 

 
『KING OF PRISM』(通称『キンプリ』)は多彩な男子キャラクター(一部はプリティーリズムからの続投)と応援上映で人気に火がつき、多くの新規ファンを獲得した。しかし、一部の古参ファンとアニメの公式側があまりに「プリティーリズム」をごり押しするため、新参ファンから不満が噴出している。


一方で、古参ファンからしても、キンプリしか観ていない人が我が物顔で旧作からの続投キャラクターについて語ったり、一部で応援上映を勝手に仕切る親分的な存在が出てきたりして、よい気分ではない。今この状況を見ると、私としてはどっちもどっちと言わざるを得ない。

 

 

筆者のポジション

かくいう私も、第3作・レインボーライブからの準新参であり、第1作のオーロラドリームと第2作のディアマイフューチャーは制作発表後に観た。プリパラシリーズや『リルリルフェアリル』も観ているが、ワタルシリーズや『激闘!クラッシュギアTURBO』、『陰陽大戦記』や平成版『ヤッターマン』はいずれも未視聴だ*2


私としては、観たいから観るというのが妥当である。ただし、プリリズを観ていない人が威張って、口からでまかせを言って批判されても自己責任だと考える。そこは、他ジャンルのユーザーと同じだ。

 

今起きている問題

さて、この記事で扱う問題を整理したい。

  1. プリリズや元ネタ作品のごり押し
  2. 応援上映の私物化とキンプリの恣意的解釈
  3. 作品外での設定の披露

この記事では以上の3点について扱う。

 

プリリズや元ネタ作品のごり押し

最初に考えたいのは、プリティーリズムを観なければならない、観なければファンと認められないという同調圧力の存在だ。公式でも上映が始まる前にプリティーリズムを観てほしい旨が書かれていたり、プリティーリズムの上映イベントが開かれたりしている。もちろん、続きものである以上、前作(『プリティーリズム・レインボーライブ』)はどうしても観てほしいところだ。しかし、「前作を観ない人には人権はない」と断じるのは行き過ぎである。


ただ、キンプリを二次創作したり、論じたりする中で、設定や作品内の事実に反すること(例えば、恋人の有無)があった場合は、指摘があるのは必至だ。そこは表現者として避けては通れないところだろう。自分なりの設定を付け加えても問題ない部分を的確に判断し、また本来の設定と違う部分がある場合は明記することが求められる。

 

女子が優遇されている?

ところで、プリティーシリーズの公式ショップであるPrismStoneショップでは、プリリズのグッズも多く出るようになった。これについて、「女子が優遇されている」との声もあるようだ。しかし、これはファンの熱意に応えて、既に終わっている作品が商品化されているのであって、「女子が優遇されている」のとは少し違う。ショウやユンスなどの男子の商品を増やしてほしいのであれば、熱意を示す必要がある。

 

応援上映の私物化とキンプリの恣意的解釈

次に、応援上映を私物化したり、プリリズを無視してキンプリを語ったりする人がいるという問題がある。これらの行為は新参の傾向という意味では一括りにできるのだが、相反する内容なのでまずは切り分けて考えたい。

 

応援上映の私物化

1つ目の応援上映の私物化については、以前から問題になっていた。一部の上映館で、勝手に音頭をとったり(「せーの」という掛け声や「回想入ります」などの案内など)、他人の応援を否定したりするなどの身勝手なことをする人が現れたのだ。「この応援は面白い」など、公式で紹介されているものはあったが、強制されているわけではない。


それから、他人やキャラクターのことを傷つけない範囲で自由に応援してよいわけであって、それ以外の尺度で良し悪しを判断される所以はない。サイリウムの色も公式から参考例が出ているが、必ずしも従う必要はない。いずれにしても、応援上映においてはルールの範囲内で表現の自由が認められなければならない。

 

キンプリの恣意的解釈

応援上映の私物化とキンプリの恣意的解釈と言ったが、表現の自由という意味では2つの事柄は真逆である。キンプリを自由に解釈するというのは良心の自由であり、それを口にしたり書いたりすることは表現の自由だ。でも、他者の解釈に異を唱えることもまた表現の自由である。


自分の思うまま、感じるままに感想を書いてもよいが、キンプリしか観ていないのにOver the Rainbowや涼野ユウについて論じるまで行くと、やりすぎだ。オバレとゼウスには気をつけて。女子を蔑ろにすると怒られるから気をつけて。


ちなみに、上にも書いたが、女子がいないもしもの世界のような設定で同人誌を作ることは許されると思う。その時は、女子がいなかったif世界であることを明記し、それを地雷だと思う人がいても文句を言わないこと。あなたにとって女子が地雷であるように。

 

作品外での設定の披露

設定や昔の出来事を多く知っていることでマウントを取る行為はあまりよろしくない。そもそも、情報というものはあらゆる事象において有利不利を隔てる分岐点となる。相手が知り得ない情報を提示して、またはそれを知っていることを誇示して相手を陥れる手法は詐欺や悪徳商法でも使われるよくないやり方だ。


これが起きている大きな理由が、保存されないメディアで公式が多くを語ってしまうことである。たしかに、『by PrettyRhythm』の公開後にアニメージュの特別号が発刊され、過去の記事が復刻した。しかし、それを買っていない人は情報を知らないし、アニメージュ以外の当時の情報は手に入らないものもある。「情報を知っているから俺は偉い」というような言い草は強権的で不適切だ。


ここで、記録に残らないメディアで公式設定を語ってしまう公式もいかがなものか、という話になる。幸い、現在はメモメモ*3してくれているファンがいる。だが、雑誌や公式ガイドブックなどで拾ってくれないと一向に広まらず、今後情報が埋もれてしまうだろう。


そうなると、自然と、古参と新参の間で情報の非対称性が生じる。公式には『PRIDE the HERO』の基本設定をまとめた本の出版(あるいはプリティーリズムの設定をまとめた本の復刻)を求め、ファンには設定を語り継いでいくことを推奨する。

 

新参と古参の融和

古参がジャンルに長くいることや知識量で優位に立とうとするのはフェアではないし、得ることが可能な情報を拒絶してまで自分の主張を貫き通す行為も非難されても仕方ない。プリティーシリーズというジャンルが平和になるために求められるのは、古参と新参のどちらかがジャンルを支配することではなく、地球の家族みんなが仲良く暮らすことである。

*1:プリティーシリーズは、2010年に女児向けアーケードゲームが稼働し、2011年にアニメが開始。「プリティーリズム(プリリズ)」ブランドは2014年に一旦終了するが、1年半後の2016年に男子キャラクターのスピンオフ映画が作られた。

*2:ここに挙げた作品は、プリティーシリーズにおいてネタとして扱われている作品である。しかし、これらの作品を観ていなかったとしても、パロディがわからない程度であり、問題ない。

*3:プリティーリズム・ディアマイフューチャー』で佐倉綾音さんが演じている大瑠璃あやみの口癖。メモメモ禁止は困る。

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