主人公声優が叫ぶ(熱い)表現が苦手だった
主人公・烈火幸村役の山下誠一郎は『レディジュエルペット』のソアラなど落ち着いた雰囲気の役が多く、叫ぶ演技があまり身についていないように感じる(筆者の主観)。佐助に対する優しさは十分に表現できているので、配役の時点で間違っているとはいえないが、叫ぶ演技は残念だった。幸村は赤属性の、炎をイメージさせるカードの使い手だ。それは、優しく包み込んでくれる火ではなく、燃え盛る熱血の炎だったはずだ。もう少し燃え盛るところを見たかった。
同じく赤属性の炎利家の方が数段熱かった。炎モチーフのマジックカードを使って相手スピリットを破壊していく戦法が印象的だ。背中で語るタイプで、言葉は多く言わないが、熱く拳でぶつかっていく。そういう男だった。緑属性の宝緑院兼続は硬派ではあるが、正義とバトスピを愛する熱い男である。部下の不手際や敵の陰謀に悩まされながらも、最後まで自分のバトスピ愛を貫いた。青属性の群青早雲も、女性とは思えない頑強なスピリットを操り、ネクサスを用いて、見事なデッキ破壊をしていた。これほど熱いキャラクターがいる中で、幸村はぬるすぎたのではないだろうか?
戦国感がなかった
戦国という要素はうまく作品に活かせていなかった。バトスピ戦国時代と称して、各色の使い手が全国で熱いバトルを繰り広げるというのが、作品の概要を見たときの印象だった。しかし、後半の大会編まで舞台がムサシの国だけに止まっており、戦国感がまるでなかった。利家や兼続、早雲らは共に戦い抜いてきた仲間であったが、後半に登場した謙信や信玄、最後まで謎の存在だった半蔵は共に戦い抜いてきた仲間として主人公にエールを送ってもカタルシスの欠片も感じなかった。メインのキャラが13人ほど出ただけでも評価したいところだが、大半がムサシに属するキャラクターである(地方のキャラクターは謙信と信玄のみ。)戦国を前面に押し出すのであれば、地方出身バトラーを増やすべきであった。
戦国武将モチーフのキャラは、活かしきれていないという感が強い。実在の人物がモチーフとなっているため、歴史オタクには最初から大六天魔王の正体が分かるというサービスもあった。一方で、戦国武将をそこまでよく知らない素人目から見ても、名前を拝借しているだけなのではないかと思うところがあった。兼続と謙信に深い関係がなかったり、幸村の尊敬するのぶ兄ぃが信之ではなかったりする。ミスリードの意味もあったのかもしれないが、モチーフが十分に使われていないこともぬるい理由なのかもしれない。
ソウルコアを販促の目玉にすること
非プレイヤーとして一番に思ったのが、前作との連続性がまるでないことだ。期間が空いたとはいえ、「アルティメットトリガー」がないことや、「ソードブレイヴ」という用語が失われていることには違和感があった(遊戯王でもアクセルシンクロやカオスエクシーズという概念が失われていたが)。
ソウルコアを販促の目玉にすることにも違和感があった。長年続いてきてカードの種類が増えすぎていることには納得が行く。カードが増えすぎると、ゲームバランスが崩壊するのだろう。しかし、ソウルコアを前面に押し出してカードゲームを売り出すのは、ルーレットを目玉に人生ゲームを売り出すようなものではないだろうか?脇役を前面に押し出しても、そこまでの熱さは感じられないだろう。荒川良々の主演映画が出たとしても、申し訳ないがそこまでヒットしないはずだ(名脇役が荒川良々氏しか思いつかず申し訳ない。荒川良々氏を貶めるつもりはない)。新年度は干支をモチーフにした新カードを売り出すようだが、今年度のソウルコアを前面に押し出した販促は地味であった。
ソウルバースト・ソウルドライブ
新効果として出された2つの効果だ。3つ以上*1出てくれば、アニメが熱く盛り上がったと思うのだが、視聴者としては「ソウルドライブが使える戦国六武将は強い」程度の認識に止まってしまった*2。ソウルドライブの演出はかっこいいが、現実での再現度が低い。ソウルコアは現実では燃えないし、消えない。
強きS級バトラーに与えられるマシン
バトルマシンに関しては、新機軸だと思っている。カードアニメにありがちなドロー練習や、同じくバンダイナムコピクチャーズの『アイカツ!』に出てくる崖登りやパラシュートのようなトンデモ要素ではあるが、マシンの名前や形でそのキャラクターを表しており、有効な装置であった。例えば、白銀謙信の白蓮陣は蓮の花をモチーフにしたマシンで、彼が冷静で穏やかな人格者であり、徳のある存在であることを表現していた。利家の炎獣王は、同じ赤属性の幸村と異なり、ネコ科の動物を機軸にしたデッキを使うことを表現している。(ドラゴンを使う幸村は轟天龍。) しかし、後半は屋内の大会なので、マシンがまるで意味を成していなかった。終盤には、大六天魔王の攻撃でマシンが壊れるという描写が組み込まれた。大六天魔王の強さを表すトンデモ描写としては有効だが、なぜもっと早くやらなかったという感は確かにある。
最後に
放送局と時間帯を移動して、シリーズを再起動させた今作。再起動の割には、それを印象づける決定的な要素がなく、肩透かしを食らう形となった。だが、カードアニメのいいところは、カードの人気が続く限り、アニメが作られ続けるところだ。続編があるということは、カードの販促が一応うまく行っているということになる。次作のダブルドライブでは熱いバトスピが繰り広げられることを期待する。