人間環境が織りなすヒューマンドラマ『プリティーリズム・レインボーライブ』
今回は、プリティーリズム・レインボーライブをまだ観ていないという方へ、レインボーライブの魅力を所狭しと伝えたいと思います。ネタバレを多分に含むので、ネタバレを気にせず速く理解したい効率家向けの記事です。
(2016/6/15 Update)キャラや用語の説明を書いたので、参考になさってください。こちらの記事のネタバレは最小限に抑えてあります。
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プリティーリズム・レインボーライブは、女児向けアニメらしからぬ群像劇です。各キャラクターに2人は因縁の相手がいます。家族の問題をしっかり描いているのがポイントで、親がいないキャラクターを除き、メインキャラの家族はきちんと描写されます。つまり、人間関係とそこから生まれる環境を色彩豊かに描いているのが今作になります。人間が生み出す環境といえば、家庭環境や教育環境などが挙げられますが、友人関係も大切な環境になります。人によって環境が作られ、環境によって人が変わっていく。環境が良くも悪くも人を変えていく様を描いた作品がプリティーリズム・レインボーライブです。
この記事では、具体的なケースや人物を挙げながら、レインボーライブを紹介していきます。他のポストと重複しているエピソードもありますが、ご容赦ください。
子育て世代に普遍的な問題
毒親
完璧な高嶺の花として描かれる蓮城寺べる。そんなべるの母・律は娘に英才教育を施し、悦に浸っていました。初期から周りに嫌がらせをするジャイアンとして描かれるべるは、その陰で、楽屋の花瓶を割り、バラをバラバラにしていました。日頃の鬱憤が晴らしきれておらず、エネルギーをそこに向けるしかなかったのです。
べる関係で重要なエピソードのひとつが、中盤で明かされるチームメイト・森園わかなとの過去です。べるは完璧な存在でありつつも、周りからは遠ざけられていました。ある日、べるがテストで100点を取れず、ママに怒られると教室で泣いていました。同じく友達がいなかったわかなは、べるに話しかけます。そして、律に話をつけました。相対的に点の低い劣等生を演じ、べるを持ち上げたのです。
子どもを悪い子にしたくないけれど、英才教育を施せば、子どもを強く縛り付け、苦しめることになる。これは非常に難しい問題だと思います。
親の威厳やプライド
その森園わかなが抱える問題が、亭主関白・父権主義の気まずい家庭です。妻が敬語で夫に接し、夫が妻子に見せかけの威厳を放つ。そんな家庭でした。ストリートダンサー・仁科カヅキらとつるんでいる娘を見た父・正は、娘にあんな奴らと付き合うのはやめなさいと言うし、発表会に来てくださいと言っても、「仕事が忙しい」と、行こうとしません。
それが心からの、ありのままの娘への接し方であればよいのですが(よくありませんが)、森園夫妻の場合は違いました。実は、妻・フタバは元レディースであり、2人はヤンキー夫婦でした。
(かつて転勤族だったがここ数年は東京に定住していて、ついに)海外への転勤が決まった正。娘の最後の発表会を見せに行ったフタバですが、正は感動もせず、無反応でした。そんな正についに怒りを爆発させたフタバは、ついに本性を見せ、正を平手打ちします。その後は2人とも改心し、ありのままの姿で娘に接するようになります。
親の威厳と妻子を苦しめることは違いますし、子どもの健全な成長に責任を持たない父親は最低だと思います。正直なところ、森園家ほど極端な例はないとは思いますが、親としてどう子どもに威厳を見せつけるかも、難しい問題だと思います。でも、今は父親だから威厳を見せなければならないとか、母親は優しくなければならないといった時代ではないでしょう。子どもに危害を与えない限り、親のあり方は自由です。
悲劇的なストーリー
涼野家と神浜家の悲劇
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父子家庭の涼野家と母子家庭の神浜家。この2つの家庭が織りなすトラジェディは当時の視聴者の心に強く響きました。涼野いとと神浜コウジ。2人は共通の知人である彩瀬なるを通じて出会います。いとはライブハウスを経営する元バンドマンの娘で、コウジもまた、元バンドマンの息子でした。2人は互いの音楽性に惹かれ合うのですが、実はそれが2つの家庭をめぐる悲劇の始まりでした。
2人の親はいととコウジが付き合うことに強く反対します。なぜなら、2つの家庭は交わってはいけないからです。神浜家が母子家庭であるのは、いとの父・弦に責任があります。弦はあの日、コウジの父・丈幸とのバンド再結成談義に気をとられ、交通事故を起こしました。助手席からハンドルを操作しようとした丈幸は死亡し、2つの家庭は引き裂かれることになります。いととコウジが愛し合うことには何の罪もない。憲法上、結婚において、親が介入することはできません。恋愛においてもそれは同じことです。それなのに、日本における結婚が2つの家庭の交わりである以上、避けられない悲劇なのです。
悲劇はもうひとつあり、それは涼野家の崩壊です。KING OF PRISM by PrettyRhythmに登場する涼野ユウは、いとの弟に当たりますが、弦の元にはいません。なぜなら、母・鶴と弟・結(漢字表記)は、北海道で別居しているからです。鶴は、大切な人の命を奪った自分たちが幸せな生活を送るということに罪悪感を覚え、別居を決意します*1。番組当初、いとは、「交通事故で手を怪我した後にやる気を失った」父が中古楽器店に売ったギターを買い戻すためにPrismStoneでの職業体験(この世界では合法児童労働)に参加するのですが、それも弦の自分に対する戒めでした。レインボーライブは、交通事故で家庭が崩壊するという、どこかにありそうな悲劇を鮮やかに描ききった作品でした。
2人が付き合うことを認めるのはコウジの母・奈津子にとって苦渋の決断だったと思います。子ども向け番組でありながら、このエピソードにはいろいろ考えさせられました。
社会の闇に飲み込まれてしまう子どもたち
もうひとつ悲劇的なのは、エーデルローズのように勝者をよしとする社会の風潮に流され、構造に組み込まれてしまう人々の生き様です。前述の蓮城寺べるや母・律もそうした社会の風潮に流されたケースですが、暗雲渦巻くエーデルローズで頂点に立つ、もうひとりのプリズムスタァが速水ヒロです。ヒロは母親のネグレクト(育児放棄)により、エーデルローズの法月皇に引き取られました。この時点で、愛に飢えているヒロの様子がありありと浮かび上がってきます。
エーデルローズの実権が皇の息子である仁に渡ると、仁は勝者のみが利を得る帝国を築き上げ、プリズムショー界を腐敗させます。仁がそうなった要因を分析してみると、異母兄弟である氷室聖の存在が大きい可能性が伺えます。聖よりも愛を得るためには、優れた者、つまり、勝者である必然性が生まれる。どんな汚い手を使ってでも勝利を得なければならない環境にあったのだと、想像力を働かせることができるでしょう。彼が優勝したプリズムキングカップでは、聖は仁に選手生命を絶たれるほどの大怪我を負わされ出場できず、別の大会でも、もうひとりのライバル・黒川冷が宙に浮きながら体を「接地」させ回転させるストリート系の技に難癖をつけられ、大幅減点を喰らいました。でも、仁もまた愛に飢えていたわけで、構造的暴力に晒されていたことは確実でしょう。
そのような状況にあった仁が築き上げた帝国に身を寄せるヒロは当然、勝利のために手段を選ばない風潮に飲み込まれます。ヒロは神浜コウジの曲を奪い、それをヒロの曲として発表します(させられます)。怒ったコウジはエーデルローズを辞め、プリズムショーの世界から身を引くことになります。そして、仁から直接、憧れの黒川冷のことを貶された仁科カヅキはエーデルローズに入学すらしていませんでした。仁が築き上げた帝国は、べるやヒロ以外にも闇を広げていたのです。
ヒロが抱えていた問題はエーデルローズの闇だけではなく、母親からの愛に飢えていたことも問題でした。代わりに愛を求めていたのが、コウジとべるです。もちろん、エーデルローズの闇もありますから、コウジに対しては曲を奪うためにコウジを取り巻く少女たちに危害を加えるなど陰湿な手口でアプローチします。べるには、ステージの度にバラをプレゼントし、(時に、べるが悪事を働く際の)相談相手にもなっていました。逆に、自分が気を落とした際にはべるの胸を借りていました。ヒロの愛の行方もこの作品のポイントです。
闇に呪縛され、愛に飢えるヒロがどうなっていくのかはレインボーライブの大きな見所だと思います。
闇を振り払う美しい友情や子どもが見せる光
おとはとべる
一番べるの光の部分を好きなのが、小鳥遊おとはです。おとはは、エーデルローズの入学オーディションでべるに靴のプリズムストーンを貰って以来、べるのことが好きになりました。おとはは凄腕のキャリアウーマンを母に持ち、自分もべるのスケジュール管理やお茶汲み*2をしていました。おとはは人望が厚く、周りの女子からも人気がありました。そんなおとはに嫉妬したべるは、おとはを追放します。しかし、おとはは、べるを恨むというよりも、力ない自分に対する申し訳なさや、敵地に逃げ込んでまでプリズムショーをしている自分のステージを見に来てくれたべるへの感謝*3で胸がいっぱいでした。べるが熱を出したと聞けばきちんと駆けつける非常に人柄の良い子です。
一方、おとはを失った喪失感*4から他の子をおとはと同じ格好にし、おとはと同じ仕事をさせるべる。そんな陰湿ないじめを前にしても、おとははべるを嫌いにはなりませんでした。プリズムショーで大きな失敗をしたべるが、他のことで一番になるために、ヴァイオリン留学をさせられそうになった時は、ヒロとわかなと3人でべるを止めに行きました。おとははレインボーライブの中で一番の陽の存在かもしれません。
なるとべる
もう1人、べるを嫌いにならなかったのが彩瀬なるです。なるは、アパレルショップPrismStoneの中学生店長オーディション*5で、人類史上初めてプリズムライブを成功させ、店長になりました。一方、そのオーディションに出場し、面接官であるオーナーからつまらないと言われ、本番であるプリズムショーを披露する前になるに合格されてしまった少女が蓮城寺べるです。べるは、エリート意識や能力がないのに合格したなる(と人類最高記録タイの4連続ジャンプを跳んだ荊りんね)に不満を持っていました。こうした経緯があり、なる達PrismStoneは、べるとヒロの謀略でレベル違いの大会に出場させられます。当然、なる達は完敗します。
でも、周りが嵌められたと思っている中で1人だけ、自分の力不足と勝負の世界の厳しさを実感することができたとべるに感謝と尊敬の意を示すなるは、聖人の域に到達していました。プリズムショーで大きな失敗をした後に、はじめに手を差し伸べたのもなるでした。べるがおとはやわかなによって愛に目覚めた後は、闇に飲まれていなかった頃の優しいべるに戻り、なるに対しても素直に接するようになりました。
その後も、デュオ(2人組)ショーのためのお泊まり会という機会に彩瀬一家の温かさに触れ、徐々に浄化されていくべる。とても辛いことがあってなるが泣いてしまった時は、一緒に泣いてくれました。デュオ曲のLittle Wing & Beautiful Prideは、「何も持たない」なると「全て持った」べるの関係を描いた曲で、美しさと醜さが紙一重であることを、聴いている私達に感じさせます。なるの両親は児童文学関係の仕事に携わっており、物語の当初からなるのイメージとして、みにくいアヒルの子があてがわれていました。デュオショーにおいて、なるの衣装のモチーフはアヒルであり、べるの衣装は白鳥です。まったく違う衣装でありながら、元は同じ。
ときに、国際関係学でヒトラーが生まれながらに悪だったのか、劣悪な環境によって悪に染まってしまったのかという議論があります。厳密には、人には生まれながらに持っているものと育ちながら獲得していくものがあると思いますが、人が交わりあって変わっていくということに変わりはないのではないでしょうか?
大事なのは、仲間。人は朱に交われば赤くなるのです。最初、大事なのは「仲間」というのは、初めてキンプリを観た際は、カヅキ達の口から出たデマカセだと思っていました。でも、レインボーライブを振り返ると、実は仲間が大切だったのだとわかりました。
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レインボーライブは、人との関わりによって人はいくらでも変わっていけるんだということを視聴者に伝えてくれる作品でした。レインボーライブのキャラクターほど厳しい状況が社会に溢れているとは思いませんが、レインボーライブを観ることで、皆さんに、そばにある愛や光に気づいてもらえれば嬉しいと思います。