ホビーアニメを観ていたらいつの間にかアホになっていた

現在放送中の子ども向け番組を中心に、アニメや特撮ドラマについて書いていく。毎話「感想」を書くわけではなく、気になった話数や一般的な議論に関する記事を書く予定だ。

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ここたま第39〜40話ここたまランド編が神すぎたのでまとめる:その2

人の魂とものの魂の融合 まさに神回

『かみさまみならいヒミツのここたま』第40話「つくろう!ここたまランド」は神回だった。ここたまランドの販促という商売のための汚い回だったはずなのに、見ていて気持ち悪いシーンがひとつもなかった。前回、社会の束縛から解放されて遊園地を楽しむ小さい子どもや純粋に遊園地を楽しむここたま達の様子を見た桜井のぞみと四葉こころは、ここたま達の遊園地を作ることを決心した。今回、この回には、ここたまランドの面白さを見せつけてボロ儲けをしてやろうという魂胆が見えなかったし、CMがなければ、本当にただ単に教訓のある教育的な話にしか感じられなかっただろう。

 

[rakuten:book:18093859:detail]

 

前回の記事はこちら

www.ajo-biani.com

 

 

第40話「つくろう!ここたまランド」

遊園地・あおぞらんどから四葉家に帰ってきたラキたま達。遊園地が何だか知っているおシャキは嫉妬するが、こころが遊園地を作ろうとしていると聞き、安堵する。スケッチブックを取り出したこころは、ラキたまたちから要望を聞き出し、形にしていく。夜が更け、次のシーンで桜井家に場面が切り替わる。こころの描いた絵に、のぞみは「すごく器用なのね」と感心する。実際のところ、こころは全く器用ではないが、褒め言葉としてそれを受け取った。そこに桜井家でお店を経営しているここたま・ピンコとレンジが現れ、絵の空白に目をつけ、去って行った。


材料集めのために物置に行ったのぞみ達だったが、ラキたまが魔法で、「悪魔の家具」を呼び出してしまう。慌てた一同はツボを倒してしまい、サリーヌとパリーヌが、中に入っていた液体を被ってしまうのだった。パニックになったサリパリを洗ったこころ達は、余っている洗剤の計量スプーンを発見する。ラキたまは、結果にこじつけて、魔法が成功したと喜ぶのだった。余り物の計量スプーンがあったのは、のぞみの母が貧乏性でものを取っておく癖があるからだという。ビビットは、おかげでビビットの家を作る時に助かったと回想する。のぞみとビビットの思い出話に同情するこころだったが、家を作るのに「1時間もかかった」と聞き、唖然とする(こころは夜中ギリギリまでかかった)。自分の有能さに気づかず、過度に謙遜するのぞみに対して、こころは自分を責めるのだった。


気を取り直して、材料集めに戻るのぞみ達。ある程度材料を集めると、のぞみは、四葉さんの方がうまくできるだろうから、作業を分担しようと提案した。のぞみを呼び止めようとするも、こころはひとりで作業をする羽目になってしまう。のぞみが帰ってくると、そこにはこころが昨日描いた完成予想図とは全く違うものが出来上がっていた。呆れるのぞみは、自分がこころについて思い違いをしていたことに気づき、明日に仕切り直すことにした。家に帰ったこころは落ち込んでしまうが、サリーヌやミシルはこころを励まし、こころの部屋で暮らすここたまたちはこころを応援した。気を取り直して材料集めをするこころ達。モグタンやミシルの力で使ってしまった牛乳パックの代わりや他に使えそうなものを集めるのだった。

 

「四葉さんは少し弱気になってしまっただけよね?」

翌日、再び桜井家に集まったこころ達だったが、こころは器用にできず落ち込む。その横で、ピンコとレンジは空き缶を器用に加工して何やら作っていた。なんとか土台は完成し、後はスロープだけという状態になった。しかし、なかなかうまくいかない。靴ベラを無理にスロープにしようとするこころだったが、テコの原理で遊園地が崩壊してしまう。謝るこころだったが、のぞみはもう一度作り直せばいいとこころを宥めた。


その頃、レンジは作っていたものを完成させていた。それは出張ぽんぽこショップだった。レンジの才能を前に自信をなくしたこころは、レンジが代わりにのぞみを手伝って欲しいという。それを聞いたレンジは怒りをあらわにした。レンジはこころに、モノづくりの極意がモノを大切にすることにつながるということを説いた。ピンコは大切にされたものからここたまが生まれるのだと付け加えた。こころは間違いに気づき、自分を責めるが、のぞみは、失敗しても何度でも作り直せばいいとこころを宥めた。のぞみはこころのアイディアを詳しく聞かせて欲しいと駆け寄り、「設計図には載っていない、四葉さんが作りたい遊園地の楽しさ」を聞き出した。


すごく丈夫で柔らかくて、キラキラしている。こころが出した条件に心当たりがあるというのぞみに、ビビットは魔法をかける。あの日、久々に帰ってきたパパは、「アマゾンの奥地にいる」という「伝説のヘビ親子の革でできたベルト」だと言って、それをのぞみに渡した。怖がるメロリーに、これはお父さんの嘘だと弁明するのぞみだったが、こころはそのベルトの材質に大いに満足した。気を取り直してスロープを作ると、遊園地は完成した。ラキたまが手を触れると、遊園地は生まれ変わった。こころとのぞみは、息を合わせ、ここたまランドと名付けた。

 

「呼び捨てでいいわよ」

母が帰宅したので、のぞみとこころは慌ててここたまランドを隠し、外出した。事情を理解していない母ものぞみに家に呼ぶ友達が出来たと安堵していた。一方、ここたまランドの置き場所を探すのぞみ達は、偶然ノラたま公園の前を通りかかる。ノラたまがいないようなので、ここたまランドを茂みに隠したのだった。置き場所候補を評価して検討するのぞみ達だったが、満足な場所は見当たらない。その頃、ユラノ達ノラたまトリオはここたまランドを発見し、遊んでいた。いい場所が見当たらず戻ってきたこころ達は、人間が嫌いなノラたまたちにとって迷惑だろうと、ここたまランドを移動させようとする。しかし、とくまるは、ここたまランドで遊びたい、ここに置いて欲しいということをなかなか伝えられずにいた。怒り心頭に発したユラノは、「ここに置いてやる」と言い切った。そして、置くのにいい場所があると、こころ達を高台に案内した。ただでさえ人が来ない公園の高台はここたまランドを置くのに恰好の場所だった。


改めて、ここたまが楽しく遊べる遊園地が出来上がったことに安堵するこころ達。こころは、のぞみに感謝の意を伝えた。のぞみちゃんが一緒だったから頑張れたのだと。それに対して、のぞみは照れながら、呼び捨てでいいと言ったのだった。互いに呼び捨てで呼ぶという約束を交わし笑いあうのだった。


その夜、ビビットはのぞみに話した。のぞみがこころと友達になって嬉しいと。のぞみが豊かな表情を見せるようになったのは、こころのおかげだと。のぞみも、こころと一緒にいると素直になれるという。のぞみはビビットの依代であるロケットペンダントを握りしめ、私の願いもいつか話せるようになりたいと思うのだった。

 

ただの楽しい場所を超えた遊園地

このエピソードでは、ただの楽しい場所であった遊園地がものを大切にする想いと家族の絆と友情によって、大きく生まれ変わった。

 

引き続き家族の掘り下げ

第39話で示唆されていた家族の疎遠が、ここに来て「化ける」。のぞみの父は、旅のお土産によってのぞみを楽しませようとしていた。運動会に来られなかった父が、アマゾンのお土産として持ち帰ってきた思い出の品がここたまランドの要になったのは、前回示された家族の絆の象徴としての遊園地を体現するものである。柔らかくて丈夫というのは、単にベルトの材質を言っているわけではなくて、家族の絆は引き裂かれないということを伝えているように思えた。前回の航太の父も、不誠実な性格で息子を裏切ったというわけではなく、心から息子のことを想っていた。このエピソードは、離れていても、会う機会が少なくても、家族の絆は断ち切れないということを伝えたかったのだろう。

一方、比較的親の務めを果たしやすい立場にありながら、のぞみのそばになかなかいてやれない母は、今回も早めに仕事を切り上げて帰宅する*1。こころと鉢合わせることで、転校したのぞみが家に呼べる友達を作ることができたことを知り、安堵した。会わないからといって、のぞみのことが嫌いなわけでは決してない。これも、夫婦共働きで親の愛着と疎遠になっている現代の子どもに対して、両親との絆は会える時間にだけあるものではないということを伝えるための描写なのだ。

 

のぞみとこころの友情

前回と今回で、のぞみとこころの友情が深まった。これまでもビビットとこころのここたま達が協力して人間を助けたことはあったが、のぞみとこころが一緒に遊びに行ったり、プライベートで一緒に活動をしたりすることはあまりなかったと思う。これまでは基本的にのぞみは、考えが甘い四葉さんと四葉さんのここたまを見下していたはずだ。しかし、遊園地での出来事を機に意気投合し、ここたまのための遊園地を作りたいという考えが一致した。遊園地からの一連の流れで、互いのことを深く理解し、2人は心を許しあえる仲になった。のぞみはこころの長所も短所も尊重できるようになり、大きく成長した。こころも、のぞみに促されることで工作への苦手意識をある程度取り除くことができ、人間として成長できた。ここたま契約者の小学生という特殊な立場にある2人だからこそ、互いにわかりあうことができたのだろう。

 

ここたまとの絆:ものを大切にするということ

今回、7月7日時点で販促対象となっているここたまが全部登場した。レンジとピンコはここたまランドの空きスペースに目星をつけ、ぽんぽこショップの出張所を作った。その技巧は稚拙なこころの心に深く突き刺さってしまうが、2柱はこころに、前述の通り、心を込めて作るというものづくりの極意が、使い手のものへの愛着につながり、やがてはここたまが宿るのだということを説いた。ビビットが前回言っていた使ってあげなきゃチケットがかわいそうだというのもこれに繋がる表現だと思う。一方、こころのここたまは、ものを大切にし、ここたまハウスを作ってくれたこころに感謝し、こころを尊敬している。ノラたまトリオも人間の温かさに触れ、考えを改めている。人間が作ったと知ってもここたまランドを大いに喜んでいた。このエピソードは、ものに神が宿るという東洋特有の思想を通じて、ものと生物、ふたつの魂を見事にリンクしていたのだ。

 

次回からまた新たなここたまの販促期間に入るが、「ものにはみんな魂が宿っている」ということは忘れないでほしい。

*1:前回遊園地に行ったのは日曜日。ここたまハウスが完成したのはおそらくその翌々日なので、かなり頑張っていたのだと思う。

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