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「バンドリ!ガールズバンドパーティ」とかいうバケモノ
2017年3月某日、とんでもないゲームアプリが世に出てしまった。「BanG Dream! ガールズバンドパーティ」(略称:ガルパ)という題名の音楽ゲームアプリだ。他のアプリのユーザーが推しキャラに声帯(声優の声)がついていないだの、ストーリーに音声はつかないだの言っている間に、ほぼ全キャラに声がついていて、日常会話からシリアスストーリーまで読み聞きできる恐ろしいアプリができてしまったのである。
これはただ単に新しいゲームができたということに終始しない騒ぎだ。創作物の配信において覇権であるアニメという媒体に対抗しうるスマホゲームが作られてしまった。深夜アニメの乱発にブレーキがかかるかもしれない。フルボイススマホゲームはそうした革命の可能性を我々に提示している。
スマホゲームが創作物を発信できる条件
スマホゲームが創作物を発信する、あるいは創作物になりうる条件は次の4つのことであると考える。
- 絵と文字があること
- ゲームにつながる必然性
- 声があること
- 欲望を駆り立てること
そもそも、ここでいう創作物とは、ゲーム中で展開されるストーリーのことを指す。時に少女の等身大の悩みであったり、時に若者の戦いを描いたライトノベルだったりする。スマートフォン上でゲームを通じてクオリティの高いストーリーを展開していくために必要なことについて、ここで考えていきたい。
絵と文字があること
スマホゲームに限らず、動く媒体でゲームを用意する際は絵と文字の存在が重要だ。もちろん、文字にこそ魅力を感じるという人もいるとは思う。だが、あくまでアニメの延長線上にゲームがあるというコンテンツも多いため、絵への需要は高い。風景画の上にキャラクター絵を配置してセリフを喋らせるだけというゲームもあるが、所々で一枚絵を挿入して読み手の気を惹くという手法もある。
様々な表情を描いたイラストを使うものも多いが、低解像度のCGを使うゲームもいくつかある。こうすることのメリットは、バトルなどに動きをつけやすいことだ。音楽ゲームの一部でも、CGを使うことでプレイ画面をミュージックビデオ風にしている。もちろん、日常会話でもキャラクターは表情豊かに動く。つまるところ、CGはスマホゲームにおける表現を豊かにしているといえよう。このように、絵とセリフが表示されるだけの大人の絵本は多くの人を惹きつけている。
声があること
最近ではボイス付きのゲームが圧倒的に多い。ただし、フルボイスというわけにはいかず、一部の決め台詞や汎用的な返事などだけを音声にし、ストーリーに被せているものもある。ゲームを作る側としては費用を安く、制作期間を短くしたいようで、よっぽどの覇権コンテンツでない限り声がフルになることはなさそうだ。
つまり、ガルパは覇権になる公算が高いのだろう。ストーリーどころか細かな日常会話にまで声がついている。競合コンテンツの「アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ」と違い、キャラクター間の日常会話が多数収録されている。ストーリーはもちろんフルボイスなので、アニメと遜色ないどころか、アニメを超えているという感がある。もちろん、絵が動いていた方がファンは嬉しいと思うが、全体的な効用としてはスマホゲームの方が大きそうだ。
いずれにせよ、予算があまりないスマホゲームは音声がフルにはならない。にもかかわらず、アニメに代わるメディアになっているのは、少しでも声がついていることによるところが大きいだろう。声がついていなければ、それはポチポチ押して文字を眺めるだけの退屈な時間になる。しかし、「はい」「うん」とでも声がついていれば、セリフが脳内でキャラクターの声を使って再構成される。まるで夜中に見た写真の食べ物の味が脳内で再現されるように。ボイスがついているだけでストーリーの価値は大きく変わるのだ。
ゲームにつながる必然性
ゲームと関係がないところで展開していれば、ストーリーのゲーム内コンテンツとしての価値は低い。ストーリーがゲームに至るまでの、あるいはゲームを終えた後の文脈を形作っていかなければ、ゲームのストーリーとは言えないはずだ。
その点、ガルパはゲームとストーリーが密接にリンクしていて、評価が高い。普通の音楽ゲームであれば、音楽ゲームをプレイすることとストーリーを読むことが分離している場合が多い。アイドルがライブをするという体をとっていても、スコアを競うだけのゲームに終始しがちだ。しかし、ガルパではライブのスコアが表示された後、使用したキャラクターの会話が再生され、そのままアバターの日常会話に飛ばされる*1。ガルパにおいては、生きたキャラクターがライブをやっているのであって、ライブがストーリーの延長上にあることを実感しやすいのだ。
ガルパにはバンドごとの「バンドストーリー」というものがあり、ゲームが初登場となるキャラクターが多いにもかかわらず、キャラクターの関係性が手に取るようにわかるようになっている。「こんな想いでライブをやっているんだ」「この子にはこんな背景があるんだ」とわかった上でキャラクターを使うことができるので、ゲームへの感情移入度が非常に高い。
ゲームが始まる前にリード文を表示してストーリーがあることを気取っているゲームもあるが、ストーリーがあるのとないのとではゲームの深みが絶対的に違う。パズルにせよ、音楽ゲームにせよ、数あるゲームの中からそのゲームを選んだのはキャラクターやストーリーによるところが大きいはずだ。ストーリーやキャラクターを蔑ろにするゲームよりは、それらを大切にしているゲームをユーザーは選ぶだろう。
欲望を掻き立てること
スマホゲームにおいて創作物を発信するとき、ユーザーの欲望を掻き立てることは重要だ。スマホゲームは、ストーリーがある従来のゲーム機専用ゲームと違い、ストーリーがゲームに組み込まれていない。(音楽ゲームであれば)曲を解放したり、報酬を得たりするためにストーリーを読むことになるが、絶対読まなければならないわけではない。
例えば、「アイカツ!フォトonステージ」では、楽曲(一部の限定楽曲を除く)を解放するためにストーリーを見なければならない。一方で、メドレーイベント*2においてはストーリーを読む必要はない。読むことで報酬こそ得られるが、時間の無駄と考える人は放置することができる。あるいは、ストーリーの内容によっては読むのが恥ずかしかったり、苦痛に感じたりする人もいるかもしれない。一言でいえば、めんどくさいから読まないという人も多いのだ。
このように、スマホゲームのストーリーは、読みたいと思わせなければただの置物になってしまう。そのため、ユーザーの読みたいという欲望を掻き立てることが重要になる。具体的には、前述のようなストーリーへの組み込みや、アイテムなどの報酬がそれに当たる。一方で、ストーリー自体に興味を持ってもらうことも大切だ。
例を挙げると、「スクールガールストライカーズ」ではゲームを進めなければ次のストーリーを読むことができないが、ストーリーを読まなくてもゲームは進められる。しかし、シリアスなストーリーがユーザーを惹きつけるので、ユーザーはストーリーを読むためにゲームを進める*3。続きを読みたくなるようなストーリーの内容、あるいは区切り方にすれば、ユーザーはもっとストーリーに目を通してくれる。たしかに、スマホゲームのストーリーはチャンネルをつけていれば勝手に始まるテレビアニメと違い、自分から能動的に読まなければならない*4。だが、勝手に読み進めてくれる分、本や漫画よりは読みやすいだろう。
スマホゲームの創作物における課題
スマホゲームを創作の舞台にする上での大きな問題は、サービスが終了すると物語が失われてしまうことである。現在、「けものフレンズ考察班」は、サービス終了したゲームの情報をあらゆる方法でサルベージするという、考古学じみたことをやっているらしい。売れていなかった以上、「けものフレンズ」のアプリが終了したことは仕方ない。だが、情報が印刷され、保存されなければ、このような悲劇はまた起こるだろう。
最近でもファミコンのゲームをプレイする人はいる。ファミコンのゲームは永遠に残っているし、任天堂も復刻しているからだ。だが、オンラインが前提のスマホゲームはサービスが終わったらプレイできなくなる。当然、その中の物語も永遠に読めなくなってしまう。こんなときに我々がすべきことは、個人でゲームのキャプチャを保存することだろうか? いや、違う。ストーリーをユニバーサルな情報媒体に保存し、後から見直すことができるようにすることだ。
もちろん、データを生で保存できるに越したことはないが、絵本やノベルなど、多岐にわたって保存するのが確実だろう。平成時代に流行したけものフレンズが未来の人類によって発掘されたときのことに想いを馳せれば、色々な記録を残しておいた方が人類のためだとわかる。
消える公式サイト
ところで、最近、過去の仮面ライダーのテレビ朝日公式サイトが次々と閉鎖になり、仮面ライダーカブトのレシピ*5も失われてしまった。このように、オンラインデジタル創作物が消えることは、頻繁に起こる。こうしたデータの保存は実は喫緊の課題だ。
ゲームの方が面白くて当然?
今、スマホゲームがアニメに取って代わるというとんでもない時代が来ようとしている。キャラクターがセリフを発しながら表情豊かに動き、声優の声を発する。ゲームとストーリーが密接にリンクし、ストーリーの続きを読みたい欲望を掻き立てる。そのようなゲームがアニメより強い存在になろうとしているのだ。原作ゲームよりもつまらないと言われるアニメがある昨今、実は、原作ゲームの方が面白くて当たり前と捉える方がゲーム会社のためなのではないだろうか?