ホビーアニメを観ていたらいつの間にかアホになっていた

現在放送中の子ども向け番組を中心に、アニメや特撮ドラマについて書いていく。毎話「感想」を書くわけではなく、気になった話数や一般的な議論に関する記事を書く予定だ。

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『アイドルタイムプリパラ』 題材の妥当性と違和感

性差別を題材にする「女の子向け」アニメ

衝撃の設定

プリティーシリーズの最新作『アイドルタイムプリパラ』は衝撃の舞台設定から始まる。前作の舞台・パラ宿とはアイドルが男性の役割と考えられている街・パパラ宿。女子にアイドルになることが期待されていない街で、第一の主人公・真中らぁらは女子のプリパラを流行させるために奮闘する。

 

 

アイドルに憧れる少女 VS アイドルは男の仕事だと思っている人々

第二の主人公・夢川ゆいは女子のプリパラに憧れる少女であり、ダンパラ(男子プリパラ)の人気アイドル・夢川ショウゴを兄に持つ。兄をはじめとして、周囲を取り巻く人々からアイドルは男子のするものであり、女子にはふさわしくないと断罪されている。らぁらが転入してくるまで、周囲に賛同者はいなかった。その中には、女子も大勢いる。

 

女性アイドルの啓蒙者・らぁら

そもそも、らぁらがパパラ宿にやってきたのは、神アイドルとして、プリズムの煌めきを啓蒙するためである。神アイドルというのは、プリパラで最高の称号だ。神というのはすごい程度の意味であり、本来の神は別にいる。電子空間を統べる存在が女神であり、らぁらのユニット・そらみスマイルは女神との対決に勝って神アイドルになった。


今、プリパラが新しく作られる街・パパラ宿に派遣されたらぁらはシステムの不具合でアイドルとしての姿(アバター)になれないでいる。つまり、神アイドルとしての権威と信用がない。そのような逆境の中で、らぁらは女子のプリパラを広めるため、様々な障害に立ち向かうこととなる。

 

このように、『アイドルタイムプリパラ』は、男子しかアイドルになれない街という衝撃の設定のもとで、女子がアイドル活動を認められるため奮闘する物語である。だが、衝撃的という言葉では済ますことはできまい。今作は性差別というおおよそ子ども向けには思えない題材を扱っている。昨年までのプリパラでは当然視されていたジェンダーに関する配慮が全くなされておらず、女性自体がプリパラは男性のものだと思っている始末だ。子ども向けアニメでこれだけ過激な内容を扱えるとは驚きである。いずれにせよ、『アイドルタイムプリパラ』は題材の扱い方が適切とは言えない。前置きが長くなったが、この記事では『アイドルタイムプリパラ』の題材に対して感じる違和感の原因を探っていく。

 

 

題材は間違っていない

今作が展開する上での最大の問題は、題材が過激であることだと言えよう。しかし、間違ってはいない。たしかに、男女の違いという原始的でデリケートなテーマに踏み込むのは、政治的に正しくないと思われがちだ。特に、「男の子向け」のホビーアニメで女の子が活躍しないと、女性差別だと言われることも少なくない。女の子が活躍しない男の子向けホビーアニメでも、女子によるプレイを禁止したり咎めたりする展開は、最近では考えられなくなっている。だが、現実に照らし合わせてみれば、妥当なテーマだとわかる。

 

性役割の呪縛

プリパラを視聴する未就学児〜小学生までの子どもは、性役割にとらわれがちだ。例えば、男の子はスーパー戦隊に憧れ、女の子はプリキュアに憧れるなどのステレオタイプは、大人だけではなく子どもにも存在する。男の子が青色を好み、女の子がピンク色を好むというのも社会にDNAとして刻まれている。そうしたステレオタイプに反した行動をすれば、子どもは周囲を取り巻く子どもや大人から制裁を受けることになる*1。つまり、自分の性別にあった行動をしないと、社会から疎外されてしまうのである。


そういう意味では、何かをしたいのに、女の子のすることではないと言われてできないというのは、子どもにとって身近なテーマだと言える。例えば、数ヶ月前、「男の子向け」の玩具が欲しいという少女の動画がテレビで笑い者にされ、ネットで炎上する騒ぎがあった。でも、その番組だけが極めて異質な価値観を持っていたわけではないと思う。


その証拠に、日本の量販店のおもちゃ売り場には「男の子向け」「女の子向け」の表記がある。女の子が「男の子向け」のおもちゃを見ていて追い出されることはないが、その看板には「女の子はお断り」というメッセージが暗に込められている。このように、伝統的な性的役割の規範が作る壁というのは、子どもにとって重要な問題なのだ。なので、題材とするのは間違っていない。

 

違和感の原因

昨年までのプリパラ

違和感の理由のひとつとして考えられるのが、去年までのプリパラの展開との対比である。去年までのプリパラには、肉体的には女性だけれども男性として振る舞い、それでも女性用のプリパラに通っている子(紫京院ひびき)と、肉体的には男性だけれども女性としてプリパラに通う子(レオナ・ウェスト)がいた。後者の子には一人称がボクの双子の姉がおり、自分を可愛いと思っていてわがままな女の子だった(ドロシー・ウェスト)。


このように、女の子のようになりたい男の子や男の子のようになりたい女の子がいてもよいのだということ、女の子がどのように振舞わなければならないのかというルールなど無意味なのだということを子どもに説いていたのが、前年度までのプリパラだった。つまり、アイドルタイムプリパラは前までのプリパラと違い、悪い例を見せて子どもに正させるという手法をとっている。子どもたちに悪夢を見せる手法で本当によいのだろうか?

 

プリパラにおける◯◯禁止

ちなみに、1年目のプリパラでも、小学生はプリパラ禁止という理不尽なルールがまかり通っている小学校があった。これは、小学生はアイドルをすべきではないという風潮が社会にあったわけではなくて、校長の事情で禁止されているだけだった。らぁらはアバターでは身長や髪が伸びるので、プリパラ内にいれば校長にはバレない。当時は一部の友人を除いて、らぁらが真中らぁらであることは知られていなかった。


2年目のプリパラでは、敵がプリパラを支配し、レベルの高いアイドル以外のパフォーマンスを禁止してしまった。そのため、支配の及ばない領域でライブをするという展開になった。その中で、アイドルになりたいけれど歌や踊りが苦手な子がライブをすることになる。一方の敵は、頭が悪く見える人や才能のない人が嫌いであり、主人公の友達から天才だけを引き抜いてユニットを結成していた。

 

絶望的状況から始まる子ども向け番組

ジェンダーの話から少し遠ざかるが、絶望的な状況から始まる子ども番組はアリか、という問題もある。(寄り道程度なので、読み飛ばしても構わない。)


例えば、現在放送中の『宇宙戦隊キュウレンジャー』は最初から全宇宙が悪に侵略されている。それに対し、レジスタンス組織のキュウレンジャー(開始当初は3人)が立ち向かう。第1話では、キュウレンジャーになると豪語する主人公が生身で強敵に立ち向かって、死にかける。だが、幸運にも戦士の力を手にし、強敵を倒すことに成功する。新たに戦隊のメンバーになった主人公は、持ち前の運と明るさで仲間を引っ張っていく。宇宙が侵略されている絶望的な状況においても、主人公の明るさが清涼剤になっている*2


このように、絶望的な状況から始まる子ども向け番組には突き抜けた清涼感がないと、子どもは怖がってしまうだろう。1話の時点で1人しか仲間がいなくて、周りが全員敵のような状況で、果たして子どもは怖がらずに観ていられるだろうか? 2話で数人が新たにプリパラに入場したが、未だ女子がプリパラに行ってもいい風潮にはなっていない。やはり、1話は爽快感のある流れにすべきだろう。アニメはファーストインプレッションが大事だ。子ども向けに3話切りの概念は存在しない。ちなみに、『プリティーリズム・レインボーライブ』はOver The Rainbowが結成されるまで観てから判断してほしい。

 

二項対立の欠如

さて、ジェンダーの話に戻ろう。アイドルが男の子の役割ということになっているが、女の子は何をすればよいのだろうか? 普通のステレオタイプであれば、「男は外で働き、女は家で働く」のように、もう片方のジェンダーに対して別の役割が設けられている。男子がプリパラなら、女子は何をすればよいのだろうか? 「女子だけが性教育を受けて男子は何もしない」と同じような性に基づく差別があるように感じる。


もし男子特有の理由でプリパラが必要である場合、女子は別の何かを与えられるべきだろう。そうしないと、ただ女子に物事を禁止するだけの女性差別社会になってしまう。例えば、「男の子がパイロットをやっているように女の子もパイロットをやっていいんだよ」「女の子がフライトアテンダントをやっているように、男の子もフライトアテンダントをやってもいいんだよ」というならば子どもにも身近なテーマだと思う。


だが、女子が禁止されているプリパラを女子にも開放するという話になると、パパラ宿では女性は差別されていて、女性のエンパワーメントのためにらぁらが奮闘するという話になりかねない。つまり、性別に関するステレオタイプを扱う場合、対比できる材料を使わないと、性差別がテーマだと誤解されてしまうのだ。

 

女性差別に立ち向かう物語として

見てきたように、アイドルタイムプリパラはせっかく題材は良いのに、題材の取り上げ方のせいで損をしている。たしかに、性役割に縛られてしまうというのはプリパラの視聴者層の子どもによくあることで、題材の選定としては適切だ。しかし、ジェンダーに関する問題をソフトに受け流してきた前作と比べてみれば、違和感を禁じ得ない。女子がアイドルになることに賛同してくれる人がほとんどいない状況も、番組のおぞましさを増す要因になっている。


さらに言えば、職業に関する性のステレオタイプは基本的に男女の二項対立になっていることが多い。そのため、女性だけがアイドルになってはいけないというのは、どちらかと言えば女性差別の問題だと思われてしまう。男子のプリパラに対する女子のカウンターパートを設けるべきだったのだ。


さて、女子がプリパラアイドルになれない状況は一応は改善してきている。前述の通り、2話では女子数人が新たにプリパラに入場したほか、男子プリパラのファンである女子数人も、らぁら達が校長に隠れてプリパラにいくのを手伝ってくれた。らぁらが神アイドルであることも証明でき、現状を打破することに期待が持てる。


一方で、女子がアイドルになってはいけないという風潮がなくなったわけではない。その過程をきちんと描くことで、女性差別と戦う少女たちの物語になることはできる。性差別に負けない強い女性を描く一方で、ショウゴを悪人たる男性の代表として描くことをやめてほしいと願うばかりだ。

*1:加藤秀一『知らないと恥ずかしい ジェンダー入門』第5章を参考にした。ただし、加藤は第1章で女の子が人形遊びを好み、男の子が戦隊ごっこを好むことを研究で証明されている性差だとし、性役割ではないと解釈している。しかし、性にそぐわないおもちゃを要求するとそれを非難する人がいることからも分かる通り、そこにはある程度の「期待」が伴っている。そのため、ここでは性役割と解釈して、上記のような例示をした。

*2:ちなみに、キュウレンジャーには、お前たちが敵に立ち向かったせいで自分たちが危険に晒されるという趣旨の民間人の台詞がある。

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