苦悩する大量破壊兵器、人間とポケモンの絆
『ポケモン・ザ・ムービーXY&Z ボルケニオンと機巧(からくり)のマギアナ』を観てきたので、感想を書いた。この記事は、まだ観ていない人にお勧めするというよりも、もう既に観た人と価値観やヴィジョンを共有するものだ。初めて観る前に読まれてしまうと、意味がわからない部分もあるし、初見時の感動も薄まってしまう。むしろ、もう一度観に行く余裕のある人には観に行っていただきたいのだが、まだ観ていない方は、この画面を閉じて、映画館に行っていただきたい。
(下には、2016年8月2日時点で同映画の公式サイトとなっているページを掲載している。次回作が発表になれば、次回作のものに切り替わっていると思うので、ご容赦願いたい。)
さて、今作はポケモンXYの特徴であるメガシンカにクローズアップし、人間とポケモンの絆とは何かを問うた映画だ。メガシンカは、最終進化系を極め、人間と強い信頼関係にあるポケモンが更に強い形態に変化する現象をいう。サトシはメガシンカを会得していないが、代わりに、ゲッコウガと強くシンクロし、サトシゲッコウガという独自の形態にすることができる*1。
さて、今回主役となるポケモンは、ボルケニオンである。ボルケニオンはテレパシーで人間と意思疎通が取れる一方で、人間が嫌いだ。人間との交流で傷ついたポケモン達と暮らしており、今回、アゾット王国の大臣・ジャービスによって捕獲された仲間・マギアナを助けに行く。そのマギアナはむしろ、人間とポケモンの協同を望んでおり、人間との交流で傷ついたポケモン達を癒すため、尽力してきた。そして、ジャービスは、500年前、偉大な科学者・エリファスによって作られたというマギアナの力を狙っているのだ。ジャービスは、ポケモンを科学の力で支配しようとしており、人間とポケモンの絆の象徴としてマギアナを作ったエリファスとは考えを異にする。これは、人間とポケモンが手をとりあうというポケモン世界を体現した物語である。
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傷ついたポケモン
今回、傷ついたポケモンがかなり直接的に描写された。こうしたポケモンの描写を見ると、やはり現実のペット遺棄や育児放棄が連想される。ポケモンを金儲けの道具としか思っていない人々も(第1世代からの伝統で)おり、人間の身勝手さが身にしみてわかった。
アマルス:乱獲される希少種
アマルスは本来絶滅したはずの化石ポケモンであり、希少価値からハンターに狙われたようである。首にネットが被さっており、怪我もしていた。ボルケニオンはやめろと言ったが、人間による治療を受けた。その後のシーンでも戦っている様子が見られ、人間のおかげで立てていることがわかる。余談だが、今回の映画にはポケモンセンターもジョーイも登場していない。人間の文化も服屋(の袋)しか出てきておらず、かなりポケモン寄りのつくりであることがわかる。
ゴクリン:ポケモンを手放すトレーナーの残酷さ
ゴクリンは、ポケモントレーナーに手放されたということが明かされており、手放す前に、強く抱きしめられたことが記憶に強く残っているようである。まさか虐待の目的で強く抱きしめる人はいないだろう。のちのシーンで、内戦を終わらせるためにエリファスがマギアナを手放す場面が描かれており、このゴクリンも止むを得ず「捨てられてしまった」ことがうかがえる。だが、勇気を出してキャプチャーカフスを外してくれたゴクリンをサトシが抱きしめた際、強く拒絶してしまった。やはり、どんな理由であれ、正当な理由なくトレーナーがポケモンを手放すことは許されないのだろう。このように、人間の身勝手さによって傷ついたポケモン達がいた。現に、飼い主に捨てられたペットや、親に捨てられた・離婚された子どもは本当に傷ついている。彼らは決して、人の所有物ではない。捨てる前に、人は命の大切さを認識すべきである。
身勝手なポケモン
一方で、身勝手なポケモンがいることも確かだ。今回、傷ついたポケモン達が登場したわけだが、ボルケニオンはと言うと、本人が傷ついたわけではなかった。なのに、ポケモン達が人間によって傷ついたという理由だけで、人間がポケモンと暮らすということを否定していた。実際のところ、サトシとピカチュウ、ロケット団とニャースは切っても切れない関係にある。人間に傷つけられるどころか、失うことが耐えられないほどになっている。ボルケニオンは、当初、サトシに対し、マギアナに触るなと言っていた。マギアナが「人間に捨てられた」理由を知らなかったのだろうが、人間と交流しようともせずに、人間について多くを語りすぎているところがある。
逆に、ピカチュウ達、人間と暮らすポケモンも身勝手だ。傷ついたポケモンに無理やり、人間を認めさせようとしている。人間との信頼関係は長い時間をかけて回復するものだ。なのに、説得して分からせようとしている。今回、傷ついたポケモン達と遊んだり、セレナがポフレを作って食べさせてくれたりしたが、それだけでは不十分だと思う。特にピカチュウは長い期間をかけてサトシと信頼関係を築いているはずで、サトシが傷ついたポケモン達と心を通わせてきたことを一番わかっているだろうから、少し残念だ。それぞれの立場から、相手に歩み寄ろうともしないで全てを語ろうとするのは、ポケモンと人間の関係に限らず、よくないことだ。
手を取り合う人間とポケモン
今回の映画では、人間とポケモンの協同が描かれた。前述の通り、ゴクリンは、(おそらく)「いえき」を使って金属を溶かした。これにより、シトロンはキャプチャーカフスを含む硬い金属を切断することができた。アマルスも弱ってるところを人間に助けられた。ポケモンの治療方法では、もしかしたら、治療に時間がかかっていたかもしれない。このように、ポケモンと人間が手を取り合うことでできることもあるのだ。
メガシンカと絆
さて、今回の目玉はメガシンカだ。王女キミアは、サーナイトをメガシンカさせることができる。メガシンカはポケモンと強く絆を通わせたトレーナーにしかできないため、キミアとサーナイトは強い信頼関係にあるとわかる。もちろん、前述の通り、サトシゲッコウガもサトシとゲッコウガの絆の象徴だ。
こうしたメガシンカは、人間とポケモンが一緒に戦っていることの証拠である。ポケモントレーナーは強いポケモンを捕まえればよいわけではなく、ジム戦によって使役者としての資質を高め、ポケモンの期待に応えなければならない。特に、プライドの高いポケモンはなかなか従ってくれず、長い時間をかけて、人間を信頼するようになる。強いポケモンは、強いトレーナーの元にこそ現れるのだ。今回、ジャービスはそうした信頼関係を一切伴わないメガウェーブで、ポケモン達を苦しめた。人間にとって、ポケモンは道具ではなく、共に生活していくパートナーだ。痛みを伴う方法でポケモンを無理やり進化させたジャービスの凶行は許されることではあるまい。
マギアナ:心を癒し、つなぐもの
マギアナの機巧の中には、人間とポケモンを癒すものが幾つかあった。例えば、花を出すマジックのような機能は、かつて王女を愉しませていた。ボルケニオンはムズムズしてくしゃみをしていたが、不快感からくるものではなかった。オルゴールにもなり、人間にとっても、ポケモンにとっても心地よい音楽を流していた。小手先の機能に限らずとも、いつも人間とポケモンを助け、安らがせていたのがマギアナだ。もちろん、マギアナは戦争を引き起こしてしまうのだが、憎しみの心からは最も遠い存在だった。ソウルハートが要塞のコアになっても、攻撃をすまいと必死に抵抗していた。自分の身を犠牲にしてまで、人やポケモンを幸せにするというのが、マギアナというポケモンだった。
ポケモンが傷つくことなき世界へ
人間とポケモンは心を通わせ、手を取り合う。互いを信頼しあうことで、片方だけでは発揮しえない力を発揮する。その信頼関係が傷つき、ポケモンが人間全体が嫌いになっても、マギアナのように傷ついた心を癒す存在があれば、きっと再び人間と手を取り合えるようになる。それは人間を無理やり認めさせるような強制的手段であってはならない。一方で、身勝手な人間がポケモンを悪事に利用したり、無責任に手放したりしている。そういった人々を逮捕し排除するのか、心を癒し無害化するのか、別の手段をとるのかは、警察組織の手腕が試されるところである。いずれにしても、傷ついたポケモンが生まれない世界がベストなのは確かなことだ。
追記
popncandyrocket1ban.hatenablog.com
*1:ゲッコウガは今回の劇場プレゼントになっている。サトシゲッコウガになることはないが、ゲッコウガだけでもそれなりに強い。マギアナのデータが入ったアイテムは次回作・サン/ムーンで使えるようだ。