『バトルスピリッツダブルドライブ』第17-19話 大牙和已再登場
ホビーアニメにおいて、ホビー玩具で対決する行為はしばしばスポーツのように描かれる。現在放送中の『ベイブレードバースト』で、ベイブレードがスポーツのように扱われているのはとても印象的だ。一方、ホビー玩具を戦争や紛争解決の道具として扱うアニメがあるのも確かだ。同じく現在放送中の『バトルスピリッツダブルドライブ』では、多次元の平和を守るため、主人公たちが悪と戦っている。
主人公の茂上駿太は、日本のバトルスピリッツ(バトスピ)の全国大会決勝戦で大牙和已に勝利し、「午の十二神皇エグゼシード」を手にしたことで、異世界・スピリッツワールドへと誘われた。しかし、自身が敗北した駿太を逆恨みした和已は、スピリッツワールドで復讐を始めるのだった。負けて悔しい和已の気持ちもわかるが、バトスピがスポーツであれば、和已はアスリートだ。強くなるためには、自分を改めていくしかないはずである。にもかかわらず、和已は敗北を他人のせいにし、強い器具によって自分の力を表面的に高めた。このように考えると、大牙和已はアスリートとして不適格だ。この記事では、ここまでの和已の行動を検討する。
- 敗北したことを自分が負けた相手の責任にするのは、相手への侮辱である。相手から奪って手にした栄光は、喜ばしくない。
- 用具ドーピングはフェアではない。強いカードで勝っても、実力とは言い難い。
- 大牙和已には、スポーツマンシップが必要である。
敗北の責任転嫁
アスリートは余程のことがない限り、敗北を相手のせいにしない。格下相手に負けたのは、相手の不正ではなく、自分に問題があったからだと考えるのが普通だ。もし自分以外に間違いがあったとしても、それは劣悪な器具などの環境や審判のミスのはずである。和已の場合は茂上駿太が勝ったという事実に疑問を抱き、本来は自分が勝つはずだったと、駿太を逆恨みしたのだった。シシによりスピリッツワールドに召喚された際、和已は、賞品だったはずの「午の十二神皇エグゼシード」を手にした。そして、雪辱を果たすため、事実の誤りを正すため、その強いカードで駿太に戦いを挑んだ。和已のこのような想いは、相手選手の努力や尊厳を踏みにじる行為であり、許されない。アスリートは対戦相手を尊重すべきである。
他力の賞
ここで気になるのは、賞品をもらえなかったアスリートが、後で賞品を受け取って嬉しいのかという話だ。筆者はアスリートでないのでわからないが、少なくとも、「賞品がもらえてとても嬉しい」とは思わないだろう。だが、和已はエグゼシードを手にしたことを大いに喜んでいる。このように、和已は、賞に対する歪んだ考え方という点で、アスリート気質ではない。外見ではジャージを着ているのに、内面はどちらかといえば、復讐鬼に近い。アスリートである以上、和已は結果を尊重しなければならない。大切なのは、どのようにして自分が負けた相手から勝利の栄光を奪うかではなく、次の大会で勝つために(賞品を手にするために)どうすればいいかなのだ。
力を増強する器具
「十二神皇」はアスリートの力を高め、より良い結果を出すための器具だ。これを持っていることで和已は、十二神皇を奪われた駿太より強くなれる。もちろん、駿太は器具以外の創意工夫によって、これに対抗することが可能である。しかし、強すぎる器具を使うことそれ自体、アンフェアであると言わざるをえない。かつてスポーツ界にも、科学の粋を結集して作られた強力な器具が禁止された事例があった。強力な器具は、フェアネスをよく考えて使用すべきだ。そういった意味で、新たに寅の十二神皇を手にしようとする駿太の姿勢は間違っているとはいえない。和已が十二神皇を使うのであれば、駿太も十二神皇を使えるようにすべきであり、駿太がどうしても十二神皇を使えないのであれば、和已は十二神皇を使わないべきである。もちろん、十二神皇を使うことはルール上許されているが、何らかのハンディキャップを課した方が確実にフェアである。だが、力を増強した状態で、器具の力で勝っても、それはアスリートの実力とは言えないだろう。
フェアな戦いを
このように、大牙和已はアスリートから遠い存在であった。スポーツとしてのバトスピの世界に生きる以上、和已にはアスリートの精神が必要である。審判は絶対であり、自分の力で勝利を手にしなければならない。この流れのまま行けば、駿太が寅の十二神皇を手にするものだと思われるが、寅の十二神皇にやられて負けた際は、和已には敗北を潔く認めてほしい。そうしなければ、和已は「日本」のバトラーとして失格だ。表題の通り、バトルスピリッツこそが勝負においては重要なのである。