夢の実現とリスク
今回『リルリルフェアリル〜妖精のドア〜』第22話「ようこそ、ビッグヒューマルへ」では、ビッグヒューマル(人間界)が危険であること、りっぷが憧れの人に会うこと、ヒューマルとしてビッグヒューマルで活躍することという3点を趣旨に物語が展開された。
身分を隠さなければならないフェアリルにとって、ビッグヒューマルで活動することは危険である。しかし、現実として、ホッパーをはじめとする大人のフェアリルはビッグヒューマルに溶け込み、活躍している。しかし、フェアリルであるという身分を敢えて明かしてヒューマルに近づくことは危険である。理由のない悪意、暴力、場合によっては性暴力にさらされてしまうからである。それは現実世界の在日コリアンや、LGBTなどのセクシュアルマイノリティにとっても同じである。だが、自己実現のためには、リトルフェアリルという閉ざされた空間を抜け出す必要がある。今回りっぷが意識し始めたアイドルという夢も、テレビや芸能界などの発達した文明がないリトルフェアリルでは実現困難だし、ステージの規模も小さくなってしまうだろう。リスクをマネジメントしつつ、キャリアアップ・夢の実現を目指すというのが、現在のテーマだと思われる。
用語整理
リトルフェアリル
フェアリルと呼ばれる妖精が暮らす扉の向こうの世界。フェアリルの大きさに合わせて万物が作られており、家電など文明の利器の存在は最小限になっている。
ビッグヒューマル
フェアリルの間での人間界の呼称。フェアリルの間で、人間はヒューマル*1と呼ばれている。ヒューマルの文化を理解し、ヒューマル社会に溶け込んで生活することが多くのフェアリルの将来の目標となっており、セイントフェアリルスクールの教師を除く多くの大人のフェアリルがビッグヒューマルでヒューマルとして活躍している。
フェアリルチェンジ
ヒューマルに変身する魔法。上級魔法であり、普通の子どものフェアリルは、教師の力を借りないと変身できない。通常時もフェアリルが、恋のような心の飛躍の力で大きくなることがあるが、フェアリルチェンジが必要とする心の飛躍はそれよりも規模が大きいようだ。
以下、この記事では、フェアリルがビッグヒューマルで活躍する上でのリスクを考えていく。
文化が異なるというリスク
今回、かなり時間が割かれていたのは、文化が異なることによるリスクだ。まず、りっぷ達が初めてのビッグヒューマルで、すべて新しい景色に心を踊らせるという描写があった。ドールハウスやテレビなど、初めて見るものがいっぱいではしゃいでしまうりっぷ達だったが、ぼっくり先生に注意される。ビッグヒューマルの街に出ると、初めてリラ以外のヒューマルがいる世界がりっぷ達を待っていた。小さな村で生まれ育ち、「知らない人」という概念がないすみれはすぐにヒューマルに話しかけてしまったし、その人の服について必死に質問していた。ローズは信号の存在を知らず、カー(自動車)に「止まりなさい」と怒鳴りつけた。
文化の違いを理解しないと、恥ずかしい思いをしてしまうし、その文化の違いを嗅ぎつけた人の悪意によって危険に晒される可能性もある。失敗を恐れずに果敢に挑戦することは大事だが、一方で、それには危険が伴う。
理想との乖離というリスク
理想と現実がかけ離れていることは大きなリスクである。実際に、りっぷはヒューマルに対する理想と現実の乖離を体感した。りっぷがそれまでヒューマルについて知っていたのは、笑顔が素敵であることだけだった。そもそも、その情報の根拠は、唯一見たヒューマル(花村望)がその瞬間、笑顔であったことだけである。もちろん、花村リラ(実は望の祖母)というエビデンスもあるが、それ以外には証拠がない。
今回、りっぷは迷子になることで、初めてヒューマルの冷たさに触れる。これまでも、ヒューマルはみんな笑顔が素敵なのだと思っている描写はあり、フェアリルマージ(ソニア)から、何度も危険なヒューマルもいるのだと力説されてきた*2。しかし、理想と現実は異なっていた。そこから、多くのヒューマルが笑顔を向けていたアイドルという存在に目が向き、憧れる(羨望?)ようになる。おそらくこれも、上京した人の多くが感じることである。五城桜監督は仙台市出身という噂があるが、彼女自身もそういう経験をしたのではないだろうか?いずれにせよ、フェアリルが自己実現をする上で、理想と現実の乖離は大きな障害になると言って問題はないだろう。
異種族との交流というリスク
異種族の交流というのは、異文化の交流以上に恐ろしいリスクのはずだ。まず、りっぷ達はただでさえ、女性であるというだけで男性に力関係で及ばないし、性犯罪に晒されるリスクもある。それだけでなく、子どもや異種族という大きな「付加価値」がついてしまっている。犯罪者市場での需要はかなり大きいだろう。
次に、我々ヒューマルは、自分と違う存在を迫害してしまう傾向にある。それは日本だけではない。アメリカでも、黒人やトランスジェンダーが差別されている。ヨーロッパでは、移民排斥を目指すEU懐疑派が躍進している。フェアリルもそれは同じで、フェアリルであるというアイデンティティが割れてしまうと、憧れであれ、嫉妬であれ、確実にそのラベルに対してなんらかの感情を向けられてしまうはずだ。今のところ、仕方ないと言わざるをえないのが残念である。このように、異種族という銘柄は、ビッグヒューマルで生活していく上での大きなバリアなのだ。
優しい人の力が必要
夢を叶えるためには、危険が伴う。りっぷは望に会うため、あるいは、アイドルになるために、リスクを負わなければならないし、すみれもヒューマルのファッションデザイナーになるために、ヒューマル社会に溶け込んで勉強しなければならない。そのためには、ヒューマルの理解者の存在が不可欠であろう。望の周りにも、フェアリルの存在を信じていない幼馴染のミオがいるし、もしかしたらフェアリルをよく思っていない人もいるかもしれない。リラや望の支えがなければ、ヒューマルの、遺伝子レベルの文化を理解し、模倣することはおそらくできないし、ヒューマルの間で学ぶことはできないだろう。マイノリティであるフェアリルには、優しい笑顔のヒューマルが必要なのだ。
追記(2016/7/2 14:20)
アイドルアニメになるというのは、言いすぎだと思う。『ジュエルペットマジカルチェンジ』がアイドルものではなかったのと同じだ。そもそも、アイドルというのは、テーマ(全体の趣旨)ではなく、ひとつの夢(具体例)にすぎない。それぞれの人物にそれぞれの夢があるというのが今作である。アイドルというテーマは、一人前のフェアリルになるという今作の全体の趣旨とは必ずしも一致しない。りっぷが今後アイドルになるとしても、フェアリルとして如何に一人前になるのかと並行して、描写されるのであろう。
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