ホビーアニメを観ていたらいつの間にかアホになっていた

現在放送中の子ども向け番組を中心に、アニメや特撮ドラマについて書いていく。毎話「感想」を書くわけではなく、気になった話数や一般的な議論に関する記事を書く予定だ。

スポンサーリンク

『バトルスピリッツダブルドライブ』 第3クール突入前のまとめ

十二神皇とは何か?

今作では、十二神皇が主な販促カードとして扱われている。このカードは、スピリッツワールドのカードでありながら、邪神皇の封印の役目を終えて以降、異世界を含む各地へ飛んでいる。未の十二神皇グロリアス・シープのように勇者の元に返ったカードもあるが、申の十二神皇ハヌマーリンのように来たる日のために厳重に保管されているものもある。

 

こうして悪の手に落ちぬよう守り抜かれてきた一方、十二神皇は勇者の栄光の表象と見なされ、邪神皇復活を企む勇者の末裔たちに狙われてきた。そして、午の十二神皇エグゼシードは、茂上駿太と大牙和已の生きる世界の大会の賞品とされ、敗北した大牙和已に、(ありえないはずの、間違った)勝利の象徴として狙われた。このように、十二神皇は様々な意味を持ちつつ、崇め讃えられてきた。

 

十二神皇と誇り

十二神皇は、誇りの象徴である。タツミやキキは、十二神皇を勇者の末裔の証と考えており、それを手にしていないキキはいち早くそれを手にしようとしていた。ただ、誇りというのは、時に間違いを生む。彼らは勇者の末裔以外がそれを手にしてはいけないと、駿太やヨクから十二神皇を奪ったのだ。エトの受けた神託によれば、駿太とヨクは十二神皇に選ばれた存在であり、各地に散った十二神皇を呼び戻すための存在や、偽りの勇者ではない。それどころか、彼ら勇者の末裔も、勇者の名声を取り戻すために邪神皇を復活させようとしている。彼らは誤った方向性の誇りを持っているのだ。


一方、ヨク・アルバトロサも十二神皇を持って生まれてきたことを誇りに思っている。あくまで所有物ではなく、人生を共にしてきた選ばれしパートナーだと認識しているというわけだ。このように、十二神皇は良い意味でも悪い意味でも、誇りの象徴であった。

 

十二神皇と神秘

十二神皇は神秘的な存在である。メイ・メリーハッダの村では、未の十二神皇グロリアス・シープが守り神として崇拝されている。逆に、申の十二神皇ハヌマーリンのように、人間によって大切に守られてきた十二神皇もいる。民間にも伝えられ、偽造カードが作られるほど信仰が強い。ファンタジーの世界に存在するこれらのカードは、強く人々の心を支えている。神託を受ける巫女であるエトも神聖視されているようで、エト一行が人々から施しを受けることもある。


一方で、信仰が行き過ぎると、十二神皇のカードがあれば邪神皇を操ることができるという根拠のない自信に繋がってしまう。そもそも、タツミ達は十二神皇が万能ではないことを知っているはずだ。十二神皇を持っていてもバトラーは負ける。にもかかわらず、彼らは十二神皇全知全能説を信じて譲らない。神秘というのは信仰に由来するもので、実際には十二神皇のカードを使う者の資質にかかってくるはずだ。

 

十二神皇に選ばれるということ

十二神皇は勇者にふさわしい者を選ぶが、人間は、勇者や守護者を倒すことで十二神皇を手にすることができる。例えば、ハヌマーリンを守る賢者は、邪悪な気配があるキキを不適格とした。しかしながら、キキは賢者から力尽くで十二神皇を奪った。現状の最大の問題が、このように、十二神皇が勇者として好ましくない者の手に渡ってしまうことである。このような現状から、勇者の資質というものが大きなトピックになってくる。


前述の通り、大牙和已は自分が見下していた駿太に負け、その屈辱から、駿太に復讐心を燃やすようになった。そして、あるきっかけで大会の賞品であったエグゼシードが和已の手に渡ると、それを使って駿太に復讐した。のちに和已と戦ったヨクによれば、和已は十二神皇を戦いのための道具としか認識しておらず、勇者として不適格らしい。つまり、十二神皇は適合者のためのカードであって、嫉妬や欲に塗れた者に渡ってはいけないのだ。

 

バトスピは魂のぶつかり合い

上記のように、十二神皇は資質を持った者だけに与えられる誇り高き神秘のスピリットであった。3クール目以降は、こうした十二神皇や勇者に関する認識の齟齬をどうただすかがテーマになってくるだろう。そもそも、バトルスピリッツは異なる指向性を持つ魂のぶつかり合いであって、仲間であっても一人ひとり考え方が違う。魂のぶつかり合いを繰り返してこそ分かり合えるのだから、様々な人と魂をぶつけ合うという展開が期待される。

スポンサーリンク


プライバシーポリシーと当サイトの利用するサービスについて