キンプリは腐向け?
『プリティーリズム』は一般的には、フィギュアスケートをモチーフにした架空のショースポーツ「プリズムショー」を通じて、少女たちが友達や家族と心を通わせていく物語である。そのスピンオフとして作られたのが、『KING OF PRISM』シリーズだ。スピンオフのおかげでスピンオフ元のプリティーリズムに注目が集まっているのは大いに結構である。しかし、男性が主役になったことから、女性向けだとか、男性同士の同性愛を描くもの(いわゆる腐向け)という誤解が生じているようだ。
そうした誤解はとても残念である。なぜなら、プリティーリズムは女性だけが楽しい作品ではないからだ。結論から言うと、「男性」が「男性」を愛するシーンがあるのは事実である。しかし、それは主題ではない。実は、とても深い意味を持ったシーンである。
そもそも、プリティーリズムはとても深い作品なので、女の子が主役だから男向け、男の子が主役だから女向けと単純化することはできない。(プリズムショーが規定する)世界や人間のあり方、家庭問題など、性別に関係ない要素も多いし、バトルシーンはむしろ男性向けバトル漫画に近い。プリティーリズムは性別に関係なく、多くの人に見てほしいアニメだ。
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プリズムショーを支える壮大なバックボーン
まず、プリズムショーが世界の根幹を形作っていることは、アニメ第1作(オーロラドリーム)からずっと示唆されていた。それは、単なるプリズムショー成立の歴史ではなく、人間のあり方すらも定義している。だからこそ、「プリズムスタァ」はプリズムショーを通じて友人と繋がり、親と分かり合えるのだろう。
ところで、第3作・レインボーライブからはプリズムワールドの使者という存在が登場する。平たく言えば神の使いなのだが、この第3作では、使者の存在やプリズムショーが世界の存亡を左右する重要なものであることが判明する。そうした世界観について考えるだけでワクワクできるのが、プリティーリズムの魅力のひとつである。
激しいバトル
次に、プリティーリズムは「アイドルもの」と誤解されがちだが、プリズムスタァ(フィギュアスケーター)がアイドルを兼業している場合があるだけで、アイドルだけが全てではない。もちろん、現実のフィギュアスケートのように、トップ選手がアイドル的な人気を得ているケースもある。
それに加えて、男性が主役になったキンプリでは、激しいバトルも繰り広げられる*1。サッカーに個人パフォーマンスと試合があるように、プリズムショーにもショーとバトルがあるのだ。ショーとバトルでどう変わるかといえば、ハートの矢を射るラブリーな技が、ハートの矢で相手を射抜く攻撃技になったりする。美しさを表現した技が相手に牙を剥く技に変貌するというわけである。いずれにしても、プリティーリズム=アイドルものというわけではない。どちらかといえば、アイドルではなくアスリートと呼ぶのが適切だろう。
家庭問題に対する救済
それから、アイドルものでも家庭問題がクローズアップされることがあるが、プリティーリズムの場合は一味違う。選手の想いが技にフィードバックされるので、登場人物が家庭問題に接した際の心境の変化がライブパートにも影響を及ぼす。
取り上げられる家庭問題は、子どもの夢に対する親の無理解から一家離散まで様々である。プリズムショーは遊戯王でいうデュエルのような役割を持っており、子どものプリズムショーによって親の心が動かされるという展開が多い。家族に関係ない問題(友達間の問題、いわゆる「ゲストのお悩み解決」)もあるが、家族との絆に関することも重大なテーマのひとつである。プリティーリズムは、そうした問題をプリズムショーの持つ不思議な力が救済していく物語でもある。
アイドルものではないという話に絡めるとすれば、視聴者は登場人物を可愛いというよりも、愛しいと思えるようになるだろう。特に、各シーズン終盤は涙無しには観られないはずだ。だから、性別に関係なく観てほしい。
幅広い需要と男性の財力が必要
プリティーリズムという作品は、まだまだリピーター需要によって支えられているところが大きい。女性だけに限ってしまうと、観客動員数が伸びないばかりでなく、一般的に収入が高い男性よりも興行収入を上げづらい。女児向けアニメ・女性向けアニメという先入観もあるかもしれないが、ぜひ男性にも観てほしい。
*1:古参に怒られそうなので、注釈に書いておく。実際にはプリティーリズムにもバトルはなくもないが、重要なものが多いので言及していない。競技という意味でのバトルはプリティーリズム時代からある。