みあとべるは実は似ている!?
この記事では、べるとみあが似ているのではないかという幻想を抱きながら、ゆる〜く2人の共通点や異なる点について考えていきたいと思います。
蓮城寺べる
蓮城寺べるはプリティーリズム・レインボーライブのキャラクターでありながら、前作ディアマイフューチャーの流れを強く引く存在でもあります。前の記事でも示した通り、べるはいつも孤独に、一番であることを強いられてきましたが、仲間との交流によって、愛に目覚めます。一方、ディアマイフューチャーの上葉みあは、気度愛Luck(気合と度胸と愛と運。略して、キドアイラック)を座右の銘とし、一番を愛する少女です。一番を目指すということに関しては同じですが、一番を目指す理由は大きく異なります。最初、みあがなぜ一番になりたいのかは明かされませんでした。みあの場合、その理由が終盤になり明かされていくのですが、べるの場合は、約1クールの悪役期間を経て、2クール目に彼女が一番にならなければならない理由が明かされます。みあの一番は憧れからくるものですが、べるの一番は母親の期待に応えなければ愛がもらえないからという過酷なものでした。べるは彩瀬なるが運でPrismStoneの店長になったこともよく思っていませんから、愛とLuckがLack(欠如)しています。
革命、未来、情熱
べるが関わっている歌に散りばめられていた単語です。ディアマイフューチャーをよくご存知の方ならピンと来ると思いますが、革命と未来はディアマイフューチャーを語る上で欠かせないキーワードであり、情熱はみあが着る「じょうねつのシンフォニア」に関係しています。
革命
ここでいう「革命」は、王の処刑によって社会変革をもたらすという本来の意味とはもちろん異なります。ディアマイフューチャーのキャッチフレーズに「プリズムアクトはハートの革命」というものがあります。「ハートの革命」というのは、ハートに対して、もしくは、ハートを通じて、劇的な変革を起こすことです。べる達エーデルローズSチーム(ベルローズ)のプリズムジャンプやRosette Nebulaの歌詞の一部にもなっている「革命のロゼッタネビュラ」。ここでいう革命はおとはやわかな、それからべる自身がべるのハートに対して、ひいてはそのプロセスの中でおとはやわかなのハートに起こした「ハートの革命」であって、猟奇的な意味は一切含みません。
未来
「未来のみんながいっちばーん!」ディアマイフューチャーの最大の名言です。以前の記事でも触れている通り、ここでいう一番というのは、自分の中の最善・最高(one’s best)であって、集団の中で孤高の指導者である最強・最高(the best of us, the best of them, the best of you guys)の存在ではありません。べるは、自分の中の最善の演技をしてトップに立ち、続編のKING OF PRISM by PrettyRhythmでは、エーデルローズ女子部を引っ張る一番になっています。それは暴君たる女王ではなく、愛によって人を導く女神です。(1位になったからといって自分の中の一番になれないわけではなく、自分の中の、あるいは、自分らしい一番を目指すことが一般的な順位としての一番にもつながるのだと思います。)
情熱
べるは4連続ジャンプを達成し、あるいは、天羽ジュネやりんねを超えたいという強い想いを持っていました。これはみあがあいらに対して抱いていた感情に近いものがあります。ただし、べるはジュネやりんねになれないわけで、最後のプリズムショーでも自分らしいプリズムジャンプを跳んでいました*1。みあのきらめきフューチャースターとは異なりますが、無限や薔薇、革命、騎士といった彼女らしいモチーフのジャンプを進化させていました。一番にかける情熱は実はみあに劣っていなかったのです。
「DNA」「孤独」
一方、べる独自の概念として「DNA」や「孤独」があります。べるが努力の天才*2であることを考えると、生まれつきの才能のあるみあとは違いますし、最初から仲間がいた(仲間の愛に気づいていた)わけでもありませんでした。べるの一番の親友であるわかなはフレッシュフルーツバスケット*3を跳べる才能の持ち主であり、デュオのパートナーであるなるも、音を視覚で感じ、音だけでダンスを振り付けられる才能の持ち主です。いい家の子という意味では、サラブレッドかもしれませんが、べるには特別な能力はなかったのです。しかし、ハートの革命によって愛に気づいたべるは、音楽から愛を感じ取れるようになったのでした。
べるはみあのリベンジ?
以上、べるがみあに似ているという話をだらだらと続けました。ここでひとつ唱えたいのは、べるがみあで描けなかったことのリベンジなのではないかということです。ディアマイフューチャーの作品的制限として、描くべきキャラが20人(プレイヤーキャラ+α)超いて、とても家庭に言及できないし、一人ひとりの描写も限られるということがあったと思います。レインボーライブは11人のメインキャラ(うち3人販促に全く影響なし)とサブとなるその家族や取り巻く大人を描いていて、サブとなるキャラはメインキャラの環境説明に過ぎなかったはずです。これなら、べるのことをたっぷり描けます。家庭環境に問題のあったIFのみあがべるであって、ディアマイフューチャーで描かれなかったみあを取り巻く環境が描かれているのだ、という気がしました。
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