初代スピン術マスターとエレメント・ドラゴン:メリュジーナの伝説
『レゴニンジャゴー』シーズン9・第5話で、幼児になっていたウー先生が青年に成長した。
これに伴い、声優が虎島貴明さんに交代している。
ウー先生を成長させることで面白い効果が生まれているので、ぜひ取り上げたい。
[rakuten:es-toys:11630220:detail]
シーズン9:状況の整理
今シーズンを記事にするのは初めてなので、軽く状況を整理する。
ニンジャゴーの世界
ロイドは復活したブラック・ガーマドンとの戦いに敗れ、エレメントパワーを使えなくなる。
ニャーやエレメントマスターたちとともに、特訓をしながら隠れて暮らす。
ブラック・ガーマドンに支配された世界で、ロイド達はテレビ局を乗っ取って演説を行うなど、ひそかに反抗してきた。
敵に基地が見つかってしまうが、ロイド・ニャー・スカイラー・ダレスの4人は脱出。
そんな4人の前に現れたのは、ネズミの姿になった魔法茶屋・ミスタケだった。
ONIとドラゴンの世界
カイ・ジェイ・コール・ゼン・ウーは、「空間の茶」を使って敵の攻撃から逃れる。
しかし、逃れた先はニンジャの祖先が生きた異世界「ONIとドラゴンの世界」だった。
現在のONIとドラゴンの世界にはドラゴンハンターがおり、エレメントドラゴンを狩っていた。
コールとウー以外の3人はドラゴンハンターに捕らえられたが、2人の活躍(とトラブル)によって逃亡に成功する。
彼らの前に敵の戦士・ヘヴィメタルが現れるが、その実体はフェイスという女性だった。
彼女は初代スピン術マスターの伝説をニンジャたちに話し、ニンジャたちに協力する。
伝説のエレメント・ドラゴン:メリュジーナ
全てのエレメントパワーが使えるという伝説のドラゴン・メリュジーナ。
ウーとブラック・ガーマドンの父である初代スピン術マスターは、メリュジーナと強い絆で結ばれていたという。
そのメリュジーナを操れるという伝説の鎧(よろい)がONIとドラゴンの世界に眠っている。
ニンジャたちはフェイスとともにそれを探す。
ドラゴンは時空を行き来できると言われている。
はたして、ニンジャたちはニンジャゴーの世界へ帰ることができるのか?
若返りによってウーの過去を明かす
シーズン8でウー先生が赤ちゃんになった展開。
単なるストーリーの進行上の都合のようにも思える。
だが、実はウーという人物を掘り下げる上で、絶大な効果がある。
完全ではなかったウー先生
ニンジャたちから「完璧な師匠」と思われがちなウー先生は、昔は完璧ではなかった。
第5話の回想シーンでは、釣りをしたいのにエサがないウーが初代スピン術マスターから教えを授かる。
自分を信じて釣竿を下ろすと、エサがないのに魚が釣れた。
ウーは、自分を信じることの大切さを学んだ。
ここからわかるのは、ウーが初代スピン術マスターの教えを受けながら、現在のような賢明な老人になったこと。
つまり、なんでも知っているわけではなくて、父に言われたことを実践しているだけなのだ。
知らないけれど信じてみる
第5話でウーはニンジャたちと同じくらいの青年に成長した。
青年のウーはやはり賢くはなかった。
ニンジャたちは、フェイスから伝説のドラゴンの鎧という新しい言葉を聞く。
鎧の場所を教えてほしいというフェイスの問いかけに対し、ウーは場所を指し示した。
ウーは鎧のことなどまったく知らず、自分の信じる方角を指差しただけだった。
これは、ウーの本来の人間性をよく表したエピソードといえよう。
過去編ではなく退行
登場人物の過去を明かすために、過去編やスピンオフを設ける作品もある。
だが、レゴニンジャゴーは登場人物を退行させた。
そもそも、レゴニンジャゴーはおもちゃの販促番組なので、過去編をやりづらい。
古いメカのおもちゃが出てきても、魅力的にはならないからだ。
そういう意味では、退行したウーが現代にいるというのは非常に都合がよい。
過去にスポットを当てすぎずに、ウーの成長を描ける。
販促規制を乗り越えたよいストーリー展開である。
ウー先生は最初から完璧だったのではなく、初代スピン術マスターから教えを授かっていた。
青年になったウーは初代スピン術マスターの教えを実践した。
ウー先生が退行することで、販促をしながら成長を描ける。
ONIとドラゴンの世界 まさかの展開
そして、今回のフェイスの発言から、ONIとドラゴンの世界が現代にあることが確定した。
これまでの話では、ONIとドラゴンの世界はニンジャゴーの世界の前身のような扱いだった。
でも、実際はそうではなかった。
ONIとドラゴンの世界は独自に発展を遂げていた。
ONIとドラゴン以外の知的生命体がおり、歴史を紡いでいた。
ウー先生がこの世界に来ることがわかっていたような感じだったが、いったいどういうことなのか?
ウーがドラゴンの鎧を取り戻すとき、奇跡が起こるのかもしれない。