強い人工知能と感情とクリエイティブ
ついに始まった仮面ライダーゼロワン。
第1話から早速ネット上の話題をかっさらっている。
主人公は売れないお笑い芸人だったが、AIロボの台頭によって遊園地の営業をクビになる。
そんな中、謎のテロリストの手により、AIロボは暴走してしまう。
主人公は仮面ライダーに変身し、暴走したAIロボを倒す。
なかやまきんに君が演じたAIロボ「腹筋崩壊太郎」が話題になっている。
この記事では、主に彼の扱いについて考えたい。
滅亡迅雷.net:AIで人類を滅ぼすテロリスト
AIロボを暴走させたのは、テログループ・滅亡迅雷.netだ。
滅亡迅雷.netの目的は、人類の滅亡。
そのために、AIロボを暴走させる。
彼らは「デイブレイクタウン」と呼ばれる謎の廃墟にいる。
主人公の回想から、実験都市だったことがうかがえるが、彼らはその関係者だろうか?
ゼツメライザー&ゼツメライズキー:AIをハッキング
滅亡迅雷.netはAIロボのプログラムを書き換え、人間を襲わせる。
変身ベルト「ゼツメライザー」とアイテム「ゼツメライズキー」を使うと、強制的にハッキングできるのだ。
これは主人公が使っている「飛電ゼロワンドライバー」「プログライズキー」と同じ技術。
正義と悪が紙一重であるという仮面ライダーの世界観が強く意識されている。
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テロリストは人類を滅亡させようとしている。
そのために、腹筋崩壊太郎をハッキングし、怪人に変えた。
腹筋崩壊太郎という強いAI
ヒューマギア:仕事を与えられた人間の仲間
前置きはここまでにして、腹筋崩壊太郎の話に移りたい。
彼らAIロボには、「ヒューマギア」という製品名がついている。
ヒューマギアは人工衛星「ゼア」の指示により、姿と役割をインストールされ、人類のために働く。
腹筋崩壊太郎も、人を笑わせるという仕事を与えられていた。
彼らは仕事をするロボットというより、人に近い扱いを受けている。
主人公が従業員ヒューマギア「ゆい」にあいさつしていたシーンからも、それはよくわかる。
強いAIとシンギュラリティ
ところで、私は腹筋崩壊太郎に意表をつかれた。
なぜなら、AIがお笑いをやっているからだ。
現在の技術では、AIにクリエイティブな仕事は難しいと考えられている。
既存の創作物から学習し、別の作品を模造することしかできない。
何かを思いつくためには、統計や画像解析ではなく、芸術を評価する意思が必要だ。
もしAIがクリエイティブな笑いを生み出したとしたら、それは彼らに自我があると言える。
そうした自我・意思を持ったAIを「強いAI」と呼ぶ。
2045年ごろには、強いAIが生まれているという予想も存在する。
この時期をシンギュラリティ(技術的特異点)と呼ぶ*1。
滅亡迅雷.netの「シンギュラリティを利用する」という発言から、腹筋崩壊太郎は強いAIに成長したものと考えられる。
彼のお笑いは、模倣したお笑いではなさそうだ。
やりがいを感じるAI? 感情はあるのか?
腹筋崩壊太郎が仕事にやりがいを感じているかのように思える場面があった。
多くの人が笑った経験から、腹筋崩壊太郎が笑顔を見せるというシーンである。
私はこのシーンに懐疑的だ。
なぜなら、感情や心は観測できない。
マクドナルドの店員に感情はあるか?
例えば、あなたがハッピーセットを買うためにマクドナルドに行ったとしよう。
そのとき、店員があなたに投げかけた「スマイル」は感情と言えるだろうか?
店員はあなたを慕っているわけでも、愛しているわけでもない。
ただ単に、業務上の規則で笑顔の表情を作っているにすぎない。
このように、笑顔という表情が感情を表しているとは限らない。
感情があるかどうかを客観的に調べるのは難しい。
今回は他の描写から腹筋崩壊太郎が強いAIだとわかるが、「笑顔になったから感情が存在する」と結論づけるのは尚早だ。
腹筋崩壊太郎は人を笑わせるようプログラムされていた。
クリエイティブな意思を持つAIだった。
笑顔になっているシーンもあったが、それを感情・意思とは断定できない。
弱いAI・イズの成長に期待
クリエイティブな腹筋崩壊太郎と対比されているのが、社長秘書のイズである。
番組最後のシーンで、イズは主人公の親父ギャグの意味を丁寧に説明してしまう。
イズはお笑いを理解できていないのだ。
戦闘シーンでゼロワンに武器を投げ渡すシーンでも、失敗してゼロワンにぶつけている。
武器が必要であるという判断まではよかったのだが、投てきの計算には失敗している。
弱いAI描写は、彼女が強いAIに成長していくのを示唆している。
副社長秘書のシェスタとの性能差にも注目したい。
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*1:ゼロワンは技術が進んでいる「もしも」の世界を描いている。劇中では、シンギュラリティはすでに起きている。